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ゲームやなんかの好きなものについて語ります。
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宮辺弘子は学校でも一、二を争うほど早く登校している。
それは事情があってのことだが、入学してほどなくからそうだったから、別段苦痛に感じたこともなかった。
そしてそう経たない内に、同じくらい早くに登校している生徒がいることに気付いた。
それが同じ学年の男子で、藤堂立基という名前だと知るよりも、彼を意識し始める方が早かった。
どちらが先に来ているか、密かに下駄箱を確かめるのは何か秘密の行いに似ていてどきどきした。
他に大した趣味もない弘子にとって、それは毎日を楽しくさせるに足る刺激だった…。


「んー…なにこれ、落ちないわね…」
朝、日直であった弘子は当番の仕事である教室の掃き掃除のついでに目についた床の汚れを雑巾で拭いていた。
自分の席のすぐ横に小さな黒ずみがあるのだが、しっかりこびりついてしまっているのか、いくらこすっても取れない。
「はぁ、とりあえず諦め…」
「おい、邪魔だ」
「きゃ!?」
いきなり後ろから尻を蹴飛ばされて弘子はつんのめってそのまま床に転がった。
その拍子にスカートがめくれて、慌てて裾を引っ張って露わになったふとももを隠す。
「ちょっと、何するのよ白岩くん!」
「俺が席につけない」
悠然と弘子を見下ろしながら弘子の席のすぐ隣の机を指したこの男子生徒は白岩黒也。
彼女のクラスメートであり、この学年になってからずっと隣の席にいる。
短く刈った髪は鮮やかな金色で、耳にはピアスもついている。
この学校にこういう生徒は多くもないが珍しいほどではない。
黒也はその見た目と淡々とした喋り口調から敬遠されてはいるものの、問題になるほど不良でもないという中途半端な生徒だった。
ため息をつく弘子を横目に黒也はすたすたと歩いて自分の席についてしまった。
「文句言うくらいなら手伝って。あなただって日直なのよ」
席順に周ってくる日直は当然隣同士である弘子と黒也が一緒に当番を務めることになる。
本来なら掃除も一緒にするべきなのだ。
「めんどい…」
呟くように言って黒也は机に突っ伏してしまった。
「寝るくらいなら手伝ってくれてもいいのに…」
弘子は半ば諦めながら嘆息して雑巾をベランダの物干しにかけた。
席について突っ伏して目を閉じているクラスメートを見る。
「夜更かしでもしてるの?言っても高校生が夜更かししてすることなんてそう無いと思うんだけど」
「夜?寝てるぞ」
目を開けて黒也が答える。
「じゃあなんで今寝てるのよ!」
「朝昼夜寝たっていいだろ」
「じゃあいつ起きてるのよ!」
「今でしょう!」
思わず正拳突きが出た。
黒也は眉根を寄せて弘子に殴られた鼻をさすっているが、反撃してくることはない。
けれど後ろを向いていると、先程のように尻を蹴られることが度々あった。
好かれてはいないだろうことを、弘子は知っていた。
何故なら初対面、クラスが一緒になり隣同士になった時、彼の姿を見て弘子は言ったからだ。

『髪、そんなにしてると禿げるんじゃない?』

彼の顔が引きつったのはあの時くらいしか見ていない。
別に悪意があったわけではないのだ。
思ったことを、そのまま口に出した。
弘子はどうしてもそういうところがあった。
今に始まったことではないから、それで誰に好かれても嫌われても、今更沈んだり上がったりするようなことではなかった。
また諦めて、弘子はノートを開いた。
いつも早く登校してきて時間があるから、その日の授業の予習をしているのだが、今日は日直だったのでその時間が取れなかったのだ。
かといってしないでは気持ちが悪い。
ノートに目を落とし集中し始めたので、シャーペンを握って頬杖をついた弘子を机に突っ伏したまま黒也が見ていたことに彼女が気付くことはなかった。


この学校のレベルは県内では上の下くらいだろうか。
授業の進度は進学塾より少し遅いくらいだから、少し気を抜くとテストでとんでもないことになる。
弘子は予習復習を欠かさない真面目な生徒だったが、かといって成績がいいわけではなかった。
どれだけ頑張っても真ん中より少し上、くらいが関の山なのだ。
要領が悪いのだ。
理解できていないわけではないのだと思う。
胸を小さく焦燥感が焦がす。
仕方ないのだ。
自分はこういう人間なのだから。
それは諦めている。
でも、努力することを諦めることは、何故かできなかった。
小さく、誰にも聞こえない程度にため息をついた時だった。
隣の席から手が伸びてきた。

『ねむくね?』

広げてあった弘子のノートに黒也の字が書き足される。
人のノートに何をするのだ、と弘子はその文字の横にシャーペンを走らせた。
『朝だって寝てたでしょ。私は眠くない』
『でもこうも天気いいとな。思わず羊を数えたくなる』
『寝る気満々じゃない!』
『戦ったけどだめだった』
『ノート真っ白じゃない!戦った形跡どこにもないわよ!』

「…べ、宮辺!」
「はい!?」
黒也とのやり取りに気を取られていて教師に指名されていたのに気付かなかった。
慌てて立ち上がると教室内からいくつか忍び笑いが漏れた。
「ぼーっとしてるんじゃない。この問題」
「は、はい」
幸い解けない問題ではない。
気恥ずかしい思いをこらえて解答し、席につく。
その後黒也を睨みつけたことは、責められる筋合いはないと弘子は思った。


弘子の朝は早い。
起きて前の晩の夕食を弁当箱に詰める。
それを小振りの弁当箱二つ分作ってから、エプロンを外しながら奥の和室へ駆けていく。
「お母さん!そろそろ起きてよ、朝ご飯食べる時間なくなるわよ」
襖を勢いよくあけるとその真ん中に敷かれた布団からもぞもぞと女性が起き上がった。
「朝ご飯できてるから。早く顔洗ってきて」
「んー…」
弘子の母親である女性は目をこすって這いずるように部屋を出てきた。
夜遅くに帰ってくるせいもあるが、基本的に寝起きが悪いのだ。
「あー…私あんた産んでよかったわー」
「もう、少しはしっかりしてよ」
半分寝ぼけた顔で食卓に並べられた朝食をもそもそと口に運びながら母親が呟く。
その彼女の前に弁当箱も置いてやる。
「仕事忙しいのはわかるけど、しっかりしないと母親だってこと忘れちゃうから」
腰に手をあてて叱るとふ、と母親が遠い目をした。
「そうよね…。こんなんじゃ、あの人にも草葉の陰から笑われちゃうわね…」
つられるように遠い目をした弘子は我に返って頭を振った。
「お父さんは生きてるでしょ!もうずっと早くに仕事行ったわよ!お母さんも早く準備してね、私もう行くから」
「あ、弘子」
「何!」
鞄に弁当箱を詰め込んで肩にかけてから母親を振り返る。
「今日の晩御飯ハンバーグがいい」
「もう!!」
弘子は足音高く玄関に向かって行き、靴を履きながらため息をつく。
「なら、早く帰ってきてよね!」
「はーい、いってらっさーい」
あくまで軽い声が聞こえてきて、弘子は苦笑しながら家を飛び出した。

学校に着いてまず一番にすることは藤堂の下駄箱を覗くことだ。
今日はまだ来ていないようだ。
かといって待っているというわけでもない。
見かけることができれば幸せだし、それ以上は望むべくもない、と弘子は思っていた。
弘子は正直人によく好かれるというタイプではない。
思ったことをそのまま口に出してしまうし、元来険の強いタイプだから口うるさくなりがちで、素直でもかわいげがあるわけでもない。
だからきっと近づいたところでどうしようもない。
また一つ諦めて、弘子は教室へ向かった。


「宮辺ー」
帰りの準備をしていた弘子は気だるげな声をかけられて振り返った。
するとファイルの山を持った黒也がいつもの面倒そうな顔に少しだけ困った色を混ぜて佇んでいた。
「これ、松沢先生に資料室に戻せって言われた。資料室どこ」
資料室は基本的に教師しか使わない、その名の通り資料しかない部屋だ。
だから生徒の中にはその存在さえ知らない人間もいる。
教師の手伝いをよくする生徒や、頼みを断れないような生徒だけが知っているのだ。
「あぁ…三階の…って説明するのが面倒ね。私が持っていくわよ」
すると黒也は首を横に振って一歩下がった。
「重い」
「だから私が持っていくっつってんでしょ!」
「から俺が持つ」
「いくら面倒だからって省略しすぎよ!」
ため息をついて仕方なく鞄を机に戻して歩き出す。
すると鳥の雛のように黒也が後ろをついて歩き出した。
黒也は基本的に何を考えているのか不明だ。
面倒くさがりなのは間違いないが、かといってたまにこうして教師の手伝いをしているのを見かけるし、見た目の割に授業をサボることもない。
弘子に対してもどう考えても好かれているとは思えない態度なのだが、かといって無視するでもなく、こうして一日一回は声をかけてくる。
「あんたって何考えてるのかわかんないわ」
「今日の晩飯」
「食いしん坊か!」
もうさっさと用事を済ませるに限る。
弘子は歩調を上げて歩き出し、そしてさほど進まない内にぴたりと足を止めた。
(あの、人)
もや、と黒いものが胸の内に湧き上がる。
弘子の視線の先にいたのは、この学校の現生徒会の会計だった。
才色兼備と名高い女子生徒で、見た目も良ければ内面にも優れた才媛で男女共に人気があると聞く。
父親も会社の重役だったか何かでその仕事を手伝っているとかいないとか、噂だが。
弘子の父親はいわゆる土方だ。
昔からの技術を受け継ぐ棟梁で、無口で優しい父を誇りに思っているが、職業柄稼ぎはさほど良くない。
何か一つうまくいかなければ母親の方が稼ぎがいいこともあるくらいだ。
母親は会社でも信頼の厚いキャリアウーマンだ。
母親として問題がなくもないが、誇りを持って仕事をしている母は輝いていると思う。
けれどそのどちらの仕事も弘子は手伝うことはできない。
せいぜい晩御飯を作って待っているくらいだ。
つまり、自分とは反対の人間だ、と思って弘子は皮肉に口を歪めた。
自分の悪いところはわかっている。
彼女の何が優れているかもわかっている。
ただその差を埋める術だけが理不尽なほどわからない。
(私がああいう子だったら、きっと臆せずに藤堂くんにも…)
「おい」
後ろからファイルで背中をつつかれて我に返る。
「トイレか?」
「んなわけあるかぁ!」
デリカシーが怒って殴りかかってくるような発言に脱力する。
そうしている間に彼女はどこかへ行ってしまった。
(意味のない、物思いだわ)
弘子は首を振って考えを振り切った。
「ごめん、行きましょ」
また歩き出した弘子の背中を黒也はいつも通りの表情でじっと見ていた。


毎日は平凡に過ぎる。
今日も弘子は母親に弁当を手渡して送り出し(父親はいつももっと早くに出るのだ)、自身もいつも通りの時間にいつも通りの道を辿って学校に向かい、そしていつも通り藤堂の下駄箱を覗きこむ。
靴があるか、上履きがあるか。
それを確認するだけの、ただの日課。
けれどその日は少し、光景が違った。
藤堂の下駄箱の中にひっそりと、可愛らしい桃色の包みが置かれていた。
「な、なにこれ…」
普通に考えて、彼への贈り物だろう。
ざわ、と少しだけ弘子の心に黒い霧が湧き上がる。
考えるまでもなく女子からだろう。
男子からこの包みはちょっと薄気味悪い。
誰かが彼に好意を寄せているのだ。
「……っ」
誰かが彼に近づこうとしている。
それが誰なのか、弘子は確かめたいという衝動を抑えることができなかった。
こんな早朝、昇降口には誰もいない。
弘子は恐る恐る周囲を見渡して誰もいないことを確認した。
誰も、いない。止めてくれる者は誰も。
弘子はほとんど衝動に突き動かされるままに包みを手に取って、できるだけ元に戻しやすいようそっと包みを開いた。
中にはクッキーが入っていた。
それと一緒に可愛らしい手紙も。
弘子は手紙を抜き取って、クッキーを一度下駄箱に戻して封筒を開けた。
元々包みの中にいれる予定だったからか、封筒は封留めされていなかったから、あっさり開くことができた。
文章の内容をざっと読み飛ばし、最後の名前を確認する。
その瞬間、脳の血が一気に足先まで下がってきん、と冷たくなるような気がした。

東 千里

読み仮名が添えてあったが、そんなことはどうでもいい。
あいつだ。
生徒会 会計、誰にでも好かれる才媛。
「な、んで…」
どうしてよりによって彼女なのだ。
なぜよりによって彼を。
ずっと彼女を知ってから秘かに劣等感を抱き続けてきた。
自分とは正反対の彼女。
どれだけ努力してもほどほどの自分と、誰にでも好かれる彼女。

どうせ、彼にもすぐに好かれるのだろう?

そう思った瞬間、真っ黒な手に心が鷲掴みにされた。
先程とは逆に一気に頭が熱くなって、弘子は反射的にクッキーを手に取って床に向けて投げつけていた。
「なんで…なんであんたなのよぉっ!」
泣きたい気持ちが真っ黒な靄にかき乱されて、まるで怒りのようになる。
可愛らしい気遣いに満ちた贈り物、素直な想い、真っ直ぐに思いを伝えられる強さ。
どれもがない。
自分には、どれもが欠けている。
心を強烈な妬みが支配する。
それを吐き捨てたいほど醜いと思うのに、抑えることはできなかった。
「…はぁっ、…うっ…」
粉々になったクッキーを見ても溜飲は下がらない。
弘子は手の中でくしゃくしゃになった便箋に気付いた。
そうしてあることを思い立つ。
クッキーは拾い上げて封筒だけ戻して元のように包んでおいた。
粉々になったクッキーなんかが入っていれば、うまくすれば嫌がらせだと思うかもしれない。
そうして自分は靴を履きかえて足早にとある教室に向かった。
考えるよりも先に、ただただ黒い衝動が彼女を動かしていた。
彼女の席は知っている。
そんなことはないと言い聞かせても、恐らく藤堂以上に意識していたのだ。
自分が羨むものすべてを持っている彼女を。

きれいでかわいいまっすぐなおんなのこ。
知らないのでしょう。
こんなに、
こんなにも黒い気持ちが心の中にあることを。
これだけ醜くなれる女がいることを。
貴女は、知らないのでしょう――――!

弘子は可愛らしい便箋を、執拗に細かく破り裂いて彼女の机に散らばした。
これだけ黒い心があることを、これだけの醜さがあることを思い知らせるように。
「ふっ…あははっ…あはははははっ…」
無残に千切られた紙片が舞い散るのを見て弘子は引きつった笑いを浮かべた。
笑いながら、自分が今どれだけ醜い顔をしているか思って涙が溢れた。
自分はこれだけ、どうしようもなく、汚い。
笑声とが逆に嗚咽はまるで、声にならなかった。


弘子はその日以来前にも増して喋らなくなった。
両親には心配そうにされたが、こんなことを説明するわけにもいかない。
黒也も、何か言いたげな目線を向けてきているのを感じた。
(誰にも、言えるわけないじゃない…)
元より特段友達はいないし、黒也にも好かれているわけではないだろうが、この上軽蔑されるのは嫌だった。
両親であれば尚の事だ。
そもそも自分だって、自分があそこまでどうしようもなかったのだということが信じられなかった。
最早彼を取られそうなことにショックを受けているのか、自分の醜さに落ち込んでいるのかわからない。
自分を嫌いだというのはほかの誰を嫌うよりも辛いのだ、と初めて知った。
他人ならば逃げようがある。
けれど自分からは、どれだけ憎んでも忌んでも逃げることはできない。
どうしたらいいのかわからないまま、日々が過ぎた…。

あの日の後も弘子は今まで通りの時間に登校していた。
自分がどれだけ醜かろうと両親の為にやることは変わらないし、身に染みついた習慣というものはそう簡単に変えられない。
そして藤堂の下駄箱を見てしまうことも。
前よりしっかり見ることはなかったが、視線を向けることはやめられなかった。
だからその日も見てしまった。
同じような桃色の包みが下駄箱に入っているのを。
「…っ、また…!どこまで図々しいの…!」
ほとんど反射的にその包みをひっ掴んだ。
一瞬で心がまた真っ黒に染め上げられるのを感じながら弘子はまた包みを床に叩き付けた。
小気味いい音がしてクッキーが砕ける気配を感じても弘子の心を覆った靄は晴れない。
嫌われても、関係ないというのだろうか。
どんどんどんどん、自分だけが惨めになっていく…。
ふと、人の気配を感じて弘子は顔を上げて振り返った。
そこにいつの間にか立っていた人影を見て、弘子は体が芯まで一気に冷えたような気持ちになった。
血の気が下がってくらくらする。
「と、とうどう、くん」
「…遠慮なく、続けてくれていいぜ?」
凄みのある笑みを浮かべて藤堂が数歩歩み寄ってきた。
視線は弘子の足元でぐちゃぐちゃになっている包みを見ていた。
「どうせ、俺が作ったもんだしな」
「!!」
藤堂の睨みつけるような、蔑むような目が意味するところを悟った。
全て、知っているのだ。
本能的にそう察した。
「ぁ…」
何か言わなければと思うのに声が出ない。
今更何を言えるのかもわからなかった。
ずっと見ていたのだ、だから先を越されそうで怖かったのだ。
そんな説明が何にもならないことを、誰よりも弘子が知っていた。
何も言わない弘子のすぐ近くまで藤堂が歩み寄ってきた。
口の端は上がっているけれど、笑顔という言葉とは程遠い。
「ぁ…わ、わた、し」
何を言おうとしたのかもわからないまま口を開いた瞬間、藤堂の手が弘子の襟首を掴んだ。
そのまま下駄箱に背を叩き付けられた。
「言い訳があるなら、聞いてやるぜ?話聞かせてもらおうか」
「っ…!」
竦んだように口をぱくぱくさせるだけで何も言えない弘子に飽きたのか藤堂の手が乱暴に彼女を突き放した。
「二度とあいつに関わってみろ。今度は警告だけじゃすまさねぇぞ」(なんかよくわかんなくなってきた)
それだけ吐き捨てるように言うと藤堂は校舎の奥へと消えていってしまった。

知られてしまった。

それだけが弘子の頭の中を支配して、脱力感が襲ってきた。
多くは望まなかったのに、こんな風に終わってしまうなんて。
それが自分のせいであることがわかっていたから、どんな感情のやり場もどこにもなかった。
弘子は下駄箱にもたれるようにしてずるずるとその場に崩れ落ちた。
膝を抱え込んで顔を埋める。
他の生徒が登校してくるまでにはもう少し時間がある。
今はもう、動く気がしなかった。
涙が溢れることもなかった。
ただ頭の中も心も乾いたように何もなかった。
「……」
ゆっくりと誰かが近づいてくる気配がした。
顔は伏せたままだったけれど、弘子にはそれが誰だかわかった。
気怠そうな足取りとかすかな足音。
後ろからしょっちゅう蹴られるから、この足音には注意するようになっていたのだ。
「…笑いにでも来たの」
自分でも驚くほどささくれだった声が出た。
足音はすぐ隣で止まり、そのまま隣に腰を下ろす気配がした。
「お前さ、真っ直ぐすぎんだよな」
すぐ横で声が聞こえてようやく弘子は少しだけ顔を上げて横目で黒也を見た。
「好きとか、努力するとか、嫌いとか、全部真っ直ぐにそのまんま思った通りに全力で出すだろ。の割に不器用でいっつも空回りしてんし」
「…うるっさいわね…」
「でもよー」
また顔を伏せた弘子の声を遮るように黒也が少し大きな声を出した。
誰もいない昇降口に声変わりの済んだ低音が鈍く響いた。
「俺、お前のそういう真っ直ぐさ、好きだぞ」
「…………え?」
思わず顔を上げた。
真っ直ぐに黒也を見てしまったから、しっかり目があった。
いつも通りのだるそうな目が真っ直ぐに弘子の目を捉えていた。
何か思いもよらない言葉を聞いた気がする。
聞き返していいものか迷っている内に黒也はするりと立ち上がってズボンをはたいた。
「お前さ、今日夕方時間ある」
「え?」
バカみたいに同じ文字しか発していない弘子を無感情な目で黒也が見下ろしている。
「夕方、ちょっと付き合え」
「ど、どこに?」
「いーから。決まりな。拒否権ねぇから」
ぽんぽんと言い放って黒也も藤堂と同じ方向に消えていった。
弘子は何がどうなったのかよくわからないまま、しばらくきょとんとその方向を見つめ続けていた。


最後の授業が終わると黒也は弘子をほとんど引っ張るようにして学校から連れ出した。
どこに行くんだ、という弘子の問いには答えてもらえないまま電車に乗らされる。
乗った電車からはどんどん人が少なくなっていく。
「ねぇ、どこまで行くのよ…」
「もうちょっとだけ先だ」
「田舎で道聞いてんじゃないのよ?!」
もう車両には二人しか乗っていない。
並んで座った座席に夕日が薄い赤を投げかけてきている。
ずり落ちるほど浅く座って遠くを見つめている黒也を横目で見て、弘子はもう諦めることにした。

ようやく黒也が下りることを促したのは本当に周囲に畑しか広がっていないような駅だった。
降りて少し歩くとロープウェイのある小さな山があった。
「乗る」
「もう勝手にしてよ…」
やる気のなさそうな受付の男性から切符を買い、誰もいない改札を抜けて誰も乗っていないロープウェイに乗り込む。
それはそうだ。観光地でもなんでもないこの山になぜこんなものを設置したのかわからない。
5分ほどかけてロープウェイは頂上まで辿り着いた。
良いのか悪いのか、頂上にも誰もいなかった。
「こっち」
黒也が指さす方向へついていく。
そこは何もない麓の街並みに向けて視界が開けていた。
「わぁ…」
その地平線に向けて大きな夕日が沈んでいこうとしていた。
「すげぇだろ」
「うん…」
とろけるようなオレンジ色が大地に身を沈めていく。
間違いなく、心が動かされる景色だった。
「これ見てるとな、自分の悩みなんてちっぽけなものな気がしてくる。こんなでっかいもんが出たり入ったりしてる景色の中で自分の何がいいとか悪いとか、んなことどうでもいいって」
「妙な言い方しないでよ!」
言い返しながらも、弘子は黒也の言ったことを噛み締めた。
「誰にだって良いとこがありゃ悪いとこも醜いとこもある。どっちかしかねぇ人間はいねぇよ。そんなの気持ちわりぃ。そんで俺たちガキの良さとか悪さなんか、あの夕日に比べりゃ世界にとってどうでもいいちいせぇことだよ」
「うん…」
ようやく、弘子の瞳から涙が溢れた。
悲しいのではなかった。
嬉しいのとも何か違う気がしたけれど、とにかく暖かい気がした。
「…だから、気にすんな。お前の真っ直ぐさは、悪いとこでもあるかもしれねぇけど、俺は好きだ」
「うん……」
半分嗚咽のような声で答える。
目を拭って鼻をすすりあげる。
黒也はただ横に立って、一緒に夕日を眺めていてくれた。
「白岩くん」
随分時間がたって、夕日も半分以上が地平線に姿を隠した頃、ようやく弘子は声を出せた。
「ん」
短く、黒也が答える。
「…ありがと」
「おう」
それだけ言った。
今は、それだけで十分だという気がした。
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