ゲームやなんかの好きなものについて語ります。
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今回は二人新登場。
再プレイしないと話口調がなんだか覚束ないです…。
ちなみにリィンとマキアスが泊っているホテルですが、そのつもりまったくなかったのにリィンのホテルを「西風」にしていたので、ならばと対比させてマキアスの方をつけました。
ほんとは星座ですが、まぁそこは。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ジュライでの二日目。
リィンは太刀をホテルに置いて、行政地区へ向かってみることにした。
早くブラウン・シュガーへ行ってみたいのは山々だったが、まだ朝早いこと、開店時間を昨日確認しなかったこともあって一旦まだ回っていない地区を見てみることにしたのだ。
行政地区には他の地区より高い建物が多いようだった。
その中でもジュライ議会の本拠地にあたる議事堂は頭抜けて高く、中心の尖塔は街のどこからでも見ることができるほどだ。
リィンはとりあえずその議事堂を目指してみることにした。
本気で会える期待をしたわけではなかったが、ジュライ独立を決めた議長の姿を見てみたいという気がしたからだ。
昨日見た通り行政地区の中は特に兵士の姿が多かった。
かならずどこかに兵士の姿があり、厳しく周囲を警戒しているように見えた。
(まぁ…あんな昨日みたいな襲撃があるんじゃ警戒もするよな…)
だがジュライの中でそんな風に争っているようで、いざ首都と戦うとなったらどうするつもりなのだろう。
やはり正気の沙汰とは思えなかった。
そんなことを考えながら歩いているとあっという間に議事堂の前に辿り着いていた。
兵士が多いものの、役所などもあるためか一般人がいないわけではない。
怪しい行動さえ取らなければ見て回ることはできるようだった。
「ええいうるさい!何度言っても同じことだ!」
「ん?」
怒鳴り声に目をやると、議事堂の敷地内へ続く門の前で誰かが揉めているようだった。
「あれは…」
リィンは目を瞠った。
門の前で衛兵に突き飛ばされて尻餅をついている少年に見覚えがあった。
少年は今にも剣を抜きかねない様子の衛兵にも臆することなく立ち上がった。
「だから僕は首都議会からの正式な使者だと言っているだろう!とにかく議長と話をさせてくれ!
証拠ならこの議長印のある委任状がある!」
「議長はお会いにならん!大体貴様のようなガキの何が使者だバカバカしい!」
「だ、だから委任状があると言っているだろう!取り次ぎくらいしてくれたって…」
「あ、あのすみません!」
リィンはなおも食ってかかろうとする少年の腕を引っ張って割り込んだ。
お互いに向けられていた剣呑な視線が一気にリィンに移る。
「こいつ正義感の強いヤツで、ここしばらくの爆発事故ですっかり熱くなっちゃって。
なんとしてでも議長に直談判しにいくなんて…ご迷惑おかけしました」
「なにをもがっ!」
リィンは反論しようとした少年の口を塞いで耳元に顔を寄せた。
「これ以上ここで騒いでも相手を頑なにさせるだけだ。一旦引こう」
「…くっ」
少年が大人しくなったのを確認するとリィンはそのまま少年を引きずるようにして後ずさり始めた。
「本当にすみませんでした。では失礼します…」
「ふんっ」
衛兵もこれ以上こだわるつもりもないようで姿勢を正して視線を前の通りへ戻した。
(…ん?)
その様子を確認していてリィンは初日に兵士たちを見ていて感じた違和感をもう一度感じた。
そして、その正体に気付いた。
(これは……)
「ええい、いい加減離してくれ!」
「あ、すまない」
もうだいぶ門からは離れたが少年を羽交い絞めにしたままだった。
少年は息をついて身なりを整えると戸惑ったような表情でリィンを見た。
「君は一体何物なんだ?何故僕を助けるような事をした?」
問われてリィンは言葉に詰まった。
一方的に感じた既視感に衝き動かされて助けたといっても不審がられるだけだろう。
「…特に深い意味はないんだ。あのままじゃ良くないことになりそうだったから、つい」
苦し紛れに言って相手の反応を伺う。
少年は真っ直ぐな目でリィンを見つめ返してきた。
ひらすら真意を見定めるような鋭い視線をリィンもしっかりと受け止めた。
「でも、迷惑だったらすまなかった」
「………いや」
少年は指先で眼鏡を上げると少し微笑んだ。
「お人好しだな君は。…僕はマキアス。首都から来た」
差し出された手をリィンも微笑んで握り返す。
「俺はリィン。ユミルから…ええと、知り合いを訪ねてきたんだ。…さっき首都議会の使いとか言ってたようだけど…俺と同じくらいに見えるけど、すごいんだな」
素直な感嘆をこめて言うと、マキアスは気まずそうに目を逸らした。
「本当の事を言うと使者と言っても正式なものではないんだ。僕はただの議員見習いの勉強性なんだが、議会にその…知り合いがいて、今回のジュライの一件で困っているようだったから。それでせめて様子だけでも報告できればと思ったんだが…思っていたよりもまずい状況みたいだな」
マキアスの言葉にリィンは頷いた。
ジュライに来た時から兵士の姿に感じていた違和感。
先ほど近くで兵士を見てその正体に気付いたのだ。
「…ジュライの兵士は国章をつけていない。議会は本格的にエレボニアに反して独立するつもりだ」
まるで制服の一部であるかのように襟元に飾られる国章はどこの州兵であろうと議会直属の兵士であろうと必ずつけることを義務付けられている。
それを外すということはジュライの兵士は独立に賛同し、既にエレボニアの国民であることを辞めているということを意味している。
「このままではまずい。議会の強硬派は正規軍を出しての鎮圧も辞さない構えだ。今はまだ穏健派が相当数いて拮抗しているし、議会の意見が一致するまで正規軍は動かせない。だがそれもいつまでもつか…このままじゃ内乱になる」
マキアスの言葉に唐突にリィンの胸の奥に震えるような不安が走った。
内乱などという言葉はここ200年平穏を保っているエレボニアには無縁の言葉だ。
ましてリィンには全く実感の湧かない言葉なのに、その響きは妙な焦りと不安を伴った。
それはマキアスも同じようだった。
険しい表情で議事堂を見上げたマキアスの視線を追ってリィンもそちらを見た。
「ジュライ市民この独立をどう考えているのかは知らないが、内乱なんかになれば確実に市民は巻き込まれる。戦場は状況的にジュライ周辺になるだろうし、そうなればどれだけ正規軍が気を払っても市民の犠牲が皆無というわけにはいかないだろう」
マキアスは苦渋の表情で拳を握り締めた。
「それだけは、させるわけにはいかない。なぜだかわからないが強くそう思うんだ」
まるでマキアスの言葉に呼応するようにリィンの頭にいくつかの光景が浮かんだ。
炎に揺れる町並み、泣き喚く子供、逃げ惑う人々。
そしてたくさんの人々に囲まれてベッドに横たわる老紳士。
流れていく水のように過ぎて行った光景にリィンの胸が切なく痛んだ。
「先ほどは失敗したが、僕は諦めない。絶対に内戦なんて起こさせてたまるか!」
言い放ったマキアスの瞳に決意の光が宿るのを見てリィンは更に強く彼を知っている、と感じた。
同時に力になりたいという気持ちが湧いて来て、それを自覚するよりも先に口が開いていた。
「マキアス、俺に何かできることがあれば言ってくれ。ジュライには来たばかりで大した力にはなれないかもしれないけど…力になりたいんだ」
リィンの申し出にマキアスは虚を突かれたように目を瞠った。
「…君は本当にお人好しだな。普通だったら怪しむところだが、何故か君は前に会ったような気すらする」
マキアスも同じように思っていてくれたことが嬉しくてリィンは顔を綻ばせた。
「実は俺もなんだ。俺は首都に行ったことがないから会っている可能性は低いけど…それでも何かの縁じゃないか?」
「…そうかもしれないな」
マキアスは気恥ずかしそうに眼鏡を押し上げながら、それでも表情を緩めた。
なんだかこの空気がひどく懐かしく感じて、同時に何かたくさんのものが足りないようなすかすかした寂しさを覚えた。
(…なんなんだろう、ジュライに来てから何度もあったこの感覚。もしかしたら…クロウに会えばそれで済むってことじゃないのかもしれないな…)
ジュライの独立騒ぎの裏で自分にも何かが迫っている。
そんな気がしてリィンは身震いした。
「とはいえ、僕もこれからどうするか決めているわけじゃないんだ。一旦ホテルに戻って作戦を練り直そうと思うが…君はどうする?」
「え?あ、あぁ、俺はちょっと行くところがあるから…商業地区の辺りだろ?一緒に戻るよ」
実体のない物思いから我に返って答えるとマキアスは怪訝そうな顔をしながらも頷いて身を翻した。
リィンも頭を振って今はどうにもならない不安を振り払う。
数歩進んでマキアスはもう一度頭だけで振り返って議事堂を見上げた。
まるでそこに何かの敵でも潜んでいるかのように睨み付けて、また歩き出した。
※
行政地区に比べると商業地区はかなり人が多いようだった。
マキアスによると観光客はだいぶ減っているようだが、それでも街行く人々の喧騒からは内乱間近という雰囲気は感じられない。
「マキアスはどlこのホテルに泊まってるんだ?」
「その先の『レッドスコーピオ』というホテルだ。名前は物騒だがサービスはなかなかいいぞ。リィンはその知り合いとやらの家に滞在してるのか?」
「あ、いや俺もホテルだよ。その先の『ウェストウィンズ』っていう…」
言いかけた時、また首筋に予感が走った。
咄嗟に顔を前に向けたと同時に爆音が鳴った。
「また…!」
「な、なんだ!?」
爆炎が立ち上ったのはまた工場地区の方だった。
周囲はあっという間に悲鳴やら不安そうなさざめきでいっぱいになる。
「いったい何が起こったんだ?!」
「独立派と反対派の抗争らしい。昨日も同じ辺りで爆発があったんだ」
「くっ……」
マキアスは少しの間立ち上る煙を睨み付けていたが、ぐっと唇を引き結ぶと爆発が起こった方向へ駆け出した。
「ちょっ、マキアス!?どうするつもりなんだ!?」
「このまま見過ごせるか!行って救助でもなんでも手伝う!」
「ちょっと待て…ってああもう!」
マキアス一人を行かせるわけにもいかず、リィンは彼を追って走り出した。
近くまで来ると思っていた以上にすさまじい有様だった。
炎は建物を包んで高く燃え上がり、あたりは煤色の煙が充満している。
「マキアスー!」
人ごみをかき分けながら走ったせいで途中で彼を見失ってしまった。
どうするつもりなのかわからないが、こんなところに入り込んではもしものことがあってもおかしくない。
「くそっ…視界が悪すぎて…!」
何かの工場の一つらしき鋼色の建物は薄い紅色に染まってゆらゆらと揺れて見える。
進むのを躊躇する熱量が迫ってくるが、それ以上に彼に何かあったらという焦りが胸を衝いた。
「行くしかないか…!」
リィンは意を決して口を袖で覆いながら炎の中へと進んで行った。
幸いというべきなのか、辺りには生きているものも死んでいるものも人の姿はまったく見えない。
(避難した後なのかな…それにしたって、消火している兵士すらいないのは…)
煙で涙の浮かんでくる目をこらして周囲を見回す。
まるでこの世に自分だけになってしまったのかと思うほど誰もいない。
「マキアス!どこにいるんだ?!」
呼びかけてみるが熱が喉を焼いて咳き込んだだけで返事が返ってくる様子はない。
(まずい、このままじゃ俺も…!)
どこかで崩れ落ちるような音も聞こえる。
あまり長くここにはいられないようだった。
(どうする…!というかどこに行っちゃったんだよマキアス!)
どうして今日話したばかりの相手の為にこんなに必死になっているのだろうとふと考える。
初めて会った気がしない。そしてあの思いこみの強さと真っ直ぐさを「らしい」と思う。
(なんなんだろう…この「知らない想い出」は…)
ふと昨日聞いたアンゼリカの言葉を思い出す。
前世で会ってでもいなければ。
アンゼリカはそう言いかけたのだ。
(前世だなんてバカげてると思うけど、どこかでそれで納得している俺がいる。クロウ達に感じる懐かしさと、あの夢…)
追い続けるクロウの背中。
そしてジュライに来てから度々よぎる、覚えのない記憶。
前世の自分の記憶なのだと言ってしまえば説明がついてしまうのだ。
(うーん、火に包まれながら考えることじゃないな…)
苦笑した瞬間、リィンは背筋に冷たい気配を感じて弾かれたように顔を上げた。
燃え盛る中に一つだけまだ火が回っていないタンクのようなものがある。
その上に小さな人影があった。
「誰だ!?」
「……そっちこそ、誰」
返ってきた声は驚くことに少女の声だった。
ぶわ、と熱風が炎と煙を吹き散らす。
その向こうに銀色の髪をした小柄な少女の姿があった。
(え……)
猫のような瞳と視線がぶつかって、またリィンの胸にあの感覚が湧き起こる。
リィンはあえて、その感覚に集中してみることにした。
すると胸の奥から一つの名前が浮かんできた。
「……フィー」
ぴくり、と少女が体を震わせた。
「なんで、わたしの名前…」
少女はタンクの上から目をこらしたようだった。
そして困惑したような顔をして、探るように自分の胸元を押さえた。
「リィン…?」
「…あぁ」
名前を呼んでくれたことが嬉しくてリィンは笑みを零したが、呼んだ本人は自分がその名を呼んだことに戸惑っているようだった。
フィーは音もなくタンクを蹴ると見上げる高さを事もなげに飛び降りてきた。
「なんだか猫みたいだな」
目の前に立ったフィーに苦笑してみせたが、彼女は真剣そのものの表情でじっとリィンの目を見つめてきた。
(猫って…目を逸らしたら負けなんだっけ)
別に負けたくないと思ったわけではなかったが、リィンもフィーの大きな瞳から目が逸らせなくなる。
先に目を逸らしたのはフィーの方だった。
まだ困ったように落ち着かない表情をしながら軽く地面を蹴ってリィンから距離を取った。
「早くここを出て。死にたくなければ」
「!」
まただ。
リィンはそう思って唇を噛んだ。
クロウも何も説明せずにただジュライから出て行けと言った。
どうしようもない疎外感と寂しさを感じてなんだか腹を立てたような気持ちになった。
「そういうわけにはいかない。友達がこの中に入っていってしまったんだ。マキアスを見つけるまでは俺も出て行くわけにはいかない」
「マキアス…?」
フィーはまた戸惑ったように胸を押さえた。
どうやら彼女はマキアスの名前にも反応しているようだった。
なんとなくそれにほっとしながらリィンは頷いた。
「大体危ないのはフィーも同じだろ。ここから出るなら一緒にだ」
「わたしは別に…んー…まぁいいや。とりあえずそのマキアスをさがそ」
「手伝ってくれるのか?」
こくん、とフィーは頷いて、左手の方を見つめた。
「他のところは一通り見て誰もいないの確認済み。多分いるならあっち」
「よし、行ってみよう。あまり長くはかけられない」
「ん」
先行して音もなく走り出したフィーの後を追って、リィンはまた走り出した。
続く!
再プレイしないと話口調がなんだか覚束ないです…。
ちなみにリィンとマキアスが泊っているホテルですが、そのつもりまったくなかったのにリィンのホテルを「西風」にしていたので、ならばと対比させてマキアスの方をつけました。
ほんとは星座ですが、まぁそこは。
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ジュライでの二日目。
リィンは太刀をホテルに置いて、行政地区へ向かってみることにした。
早くブラウン・シュガーへ行ってみたいのは山々だったが、まだ朝早いこと、開店時間を昨日確認しなかったこともあって一旦まだ回っていない地区を見てみることにしたのだ。
行政地区には他の地区より高い建物が多いようだった。
その中でもジュライ議会の本拠地にあたる議事堂は頭抜けて高く、中心の尖塔は街のどこからでも見ることができるほどだ。
リィンはとりあえずその議事堂を目指してみることにした。
本気で会える期待をしたわけではなかったが、ジュライ独立を決めた議長の姿を見てみたいという気がしたからだ。
昨日見た通り行政地区の中は特に兵士の姿が多かった。
かならずどこかに兵士の姿があり、厳しく周囲を警戒しているように見えた。
(まぁ…あんな昨日みたいな襲撃があるんじゃ警戒もするよな…)
だがジュライの中でそんな風に争っているようで、いざ首都と戦うとなったらどうするつもりなのだろう。
やはり正気の沙汰とは思えなかった。
そんなことを考えながら歩いているとあっという間に議事堂の前に辿り着いていた。
兵士が多いものの、役所などもあるためか一般人がいないわけではない。
怪しい行動さえ取らなければ見て回ることはできるようだった。
「ええいうるさい!何度言っても同じことだ!」
「ん?」
怒鳴り声に目をやると、議事堂の敷地内へ続く門の前で誰かが揉めているようだった。
「あれは…」
リィンは目を瞠った。
門の前で衛兵に突き飛ばされて尻餅をついている少年に見覚えがあった。
少年は今にも剣を抜きかねない様子の衛兵にも臆することなく立ち上がった。
「だから僕は首都議会からの正式な使者だと言っているだろう!とにかく議長と話をさせてくれ!
証拠ならこの議長印のある委任状がある!」
「議長はお会いにならん!大体貴様のようなガキの何が使者だバカバカしい!」
「だ、だから委任状があると言っているだろう!取り次ぎくらいしてくれたって…」
「あ、あのすみません!」
リィンはなおも食ってかかろうとする少年の腕を引っ張って割り込んだ。
お互いに向けられていた剣呑な視線が一気にリィンに移る。
「こいつ正義感の強いヤツで、ここしばらくの爆発事故ですっかり熱くなっちゃって。
なんとしてでも議長に直談判しにいくなんて…ご迷惑おかけしました」
「なにをもがっ!」
リィンは反論しようとした少年の口を塞いで耳元に顔を寄せた。
「これ以上ここで騒いでも相手を頑なにさせるだけだ。一旦引こう」
「…くっ」
少年が大人しくなったのを確認するとリィンはそのまま少年を引きずるようにして後ずさり始めた。
「本当にすみませんでした。では失礼します…」
「ふんっ」
衛兵もこれ以上こだわるつもりもないようで姿勢を正して視線を前の通りへ戻した。
(…ん?)
その様子を確認していてリィンは初日に兵士たちを見ていて感じた違和感をもう一度感じた。
そして、その正体に気付いた。
(これは……)
「ええい、いい加減離してくれ!」
「あ、すまない」
もうだいぶ門からは離れたが少年を羽交い絞めにしたままだった。
少年は息をついて身なりを整えると戸惑ったような表情でリィンを見た。
「君は一体何物なんだ?何故僕を助けるような事をした?」
問われてリィンは言葉に詰まった。
一方的に感じた既視感に衝き動かされて助けたといっても不審がられるだけだろう。
「…特に深い意味はないんだ。あのままじゃ良くないことになりそうだったから、つい」
苦し紛れに言って相手の反応を伺う。
少年は真っ直ぐな目でリィンを見つめ返してきた。
ひらすら真意を見定めるような鋭い視線をリィンもしっかりと受け止めた。
「でも、迷惑だったらすまなかった」
「………いや」
少年は指先で眼鏡を上げると少し微笑んだ。
「お人好しだな君は。…僕はマキアス。首都から来た」
差し出された手をリィンも微笑んで握り返す。
「俺はリィン。ユミルから…ええと、知り合いを訪ねてきたんだ。…さっき首都議会の使いとか言ってたようだけど…俺と同じくらいに見えるけど、すごいんだな」
素直な感嘆をこめて言うと、マキアスは気まずそうに目を逸らした。
「本当の事を言うと使者と言っても正式なものではないんだ。僕はただの議員見習いの勉強性なんだが、議会にその…知り合いがいて、今回のジュライの一件で困っているようだったから。それでせめて様子だけでも報告できればと思ったんだが…思っていたよりもまずい状況みたいだな」
マキアスの言葉にリィンは頷いた。
ジュライに来た時から兵士の姿に感じていた違和感。
先ほど近くで兵士を見てその正体に気付いたのだ。
「…ジュライの兵士は国章をつけていない。議会は本格的にエレボニアに反して独立するつもりだ」
まるで制服の一部であるかのように襟元に飾られる国章はどこの州兵であろうと議会直属の兵士であろうと必ずつけることを義務付けられている。
それを外すということはジュライの兵士は独立に賛同し、既にエレボニアの国民であることを辞めているということを意味している。
「このままではまずい。議会の強硬派は正規軍を出しての鎮圧も辞さない構えだ。今はまだ穏健派が相当数いて拮抗しているし、議会の意見が一致するまで正規軍は動かせない。だがそれもいつまでもつか…このままじゃ内乱になる」
マキアスの言葉に唐突にリィンの胸の奥に震えるような不安が走った。
内乱などという言葉はここ200年平穏を保っているエレボニアには無縁の言葉だ。
ましてリィンには全く実感の湧かない言葉なのに、その響きは妙な焦りと不安を伴った。
それはマキアスも同じようだった。
険しい表情で議事堂を見上げたマキアスの視線を追ってリィンもそちらを見た。
「ジュライ市民この独立をどう考えているのかは知らないが、内乱なんかになれば確実に市民は巻き込まれる。戦場は状況的にジュライ周辺になるだろうし、そうなればどれだけ正規軍が気を払っても市民の犠牲が皆無というわけにはいかないだろう」
マキアスは苦渋の表情で拳を握り締めた。
「それだけは、させるわけにはいかない。なぜだかわからないが強くそう思うんだ」
まるでマキアスの言葉に呼応するようにリィンの頭にいくつかの光景が浮かんだ。
炎に揺れる町並み、泣き喚く子供、逃げ惑う人々。
そしてたくさんの人々に囲まれてベッドに横たわる老紳士。
流れていく水のように過ぎて行った光景にリィンの胸が切なく痛んだ。
「先ほどは失敗したが、僕は諦めない。絶対に内戦なんて起こさせてたまるか!」
言い放ったマキアスの瞳に決意の光が宿るのを見てリィンは更に強く彼を知っている、と感じた。
同時に力になりたいという気持ちが湧いて来て、それを自覚するよりも先に口が開いていた。
「マキアス、俺に何かできることがあれば言ってくれ。ジュライには来たばかりで大した力にはなれないかもしれないけど…力になりたいんだ」
リィンの申し出にマキアスは虚を突かれたように目を瞠った。
「…君は本当にお人好しだな。普通だったら怪しむところだが、何故か君は前に会ったような気すらする」
マキアスも同じように思っていてくれたことが嬉しくてリィンは顔を綻ばせた。
「実は俺もなんだ。俺は首都に行ったことがないから会っている可能性は低いけど…それでも何かの縁じゃないか?」
「…そうかもしれないな」
マキアスは気恥ずかしそうに眼鏡を押し上げながら、それでも表情を緩めた。
なんだかこの空気がひどく懐かしく感じて、同時に何かたくさんのものが足りないようなすかすかした寂しさを覚えた。
(…なんなんだろう、ジュライに来てから何度もあったこの感覚。もしかしたら…クロウに会えばそれで済むってことじゃないのかもしれないな…)
ジュライの独立騒ぎの裏で自分にも何かが迫っている。
そんな気がしてリィンは身震いした。
「とはいえ、僕もこれからどうするか決めているわけじゃないんだ。一旦ホテルに戻って作戦を練り直そうと思うが…君はどうする?」
「え?あ、あぁ、俺はちょっと行くところがあるから…商業地区の辺りだろ?一緒に戻るよ」
実体のない物思いから我に返って答えるとマキアスは怪訝そうな顔をしながらも頷いて身を翻した。
リィンも頭を振って今はどうにもならない不安を振り払う。
数歩進んでマキアスはもう一度頭だけで振り返って議事堂を見上げた。
まるでそこに何かの敵でも潜んでいるかのように睨み付けて、また歩き出した。
※
行政地区に比べると商業地区はかなり人が多いようだった。
マキアスによると観光客はだいぶ減っているようだが、それでも街行く人々の喧騒からは内乱間近という雰囲気は感じられない。
「マキアスはどlこのホテルに泊まってるんだ?」
「その先の『レッドスコーピオ』というホテルだ。名前は物騒だがサービスはなかなかいいぞ。リィンはその知り合いとやらの家に滞在してるのか?」
「あ、いや俺もホテルだよ。その先の『ウェストウィンズ』っていう…」
言いかけた時、また首筋に予感が走った。
咄嗟に顔を前に向けたと同時に爆音が鳴った。
「また…!」
「な、なんだ!?」
爆炎が立ち上ったのはまた工場地区の方だった。
周囲はあっという間に悲鳴やら不安そうなさざめきでいっぱいになる。
「いったい何が起こったんだ?!」
「独立派と反対派の抗争らしい。昨日も同じ辺りで爆発があったんだ」
「くっ……」
マキアスは少しの間立ち上る煙を睨み付けていたが、ぐっと唇を引き結ぶと爆発が起こった方向へ駆け出した。
「ちょっ、マキアス!?どうするつもりなんだ!?」
「このまま見過ごせるか!行って救助でもなんでも手伝う!」
「ちょっと待て…ってああもう!」
マキアス一人を行かせるわけにもいかず、リィンは彼を追って走り出した。
近くまで来ると思っていた以上にすさまじい有様だった。
炎は建物を包んで高く燃え上がり、あたりは煤色の煙が充満している。
「マキアスー!」
人ごみをかき分けながら走ったせいで途中で彼を見失ってしまった。
どうするつもりなのかわからないが、こんなところに入り込んではもしものことがあってもおかしくない。
「くそっ…視界が悪すぎて…!」
何かの工場の一つらしき鋼色の建物は薄い紅色に染まってゆらゆらと揺れて見える。
進むのを躊躇する熱量が迫ってくるが、それ以上に彼に何かあったらという焦りが胸を衝いた。
「行くしかないか…!」
リィンは意を決して口を袖で覆いながら炎の中へと進んで行った。
幸いというべきなのか、辺りには生きているものも死んでいるものも人の姿はまったく見えない。
(避難した後なのかな…それにしたって、消火している兵士すらいないのは…)
煙で涙の浮かんでくる目をこらして周囲を見回す。
まるでこの世に自分だけになってしまったのかと思うほど誰もいない。
「マキアス!どこにいるんだ?!」
呼びかけてみるが熱が喉を焼いて咳き込んだだけで返事が返ってくる様子はない。
(まずい、このままじゃ俺も…!)
どこかで崩れ落ちるような音も聞こえる。
あまり長くここにはいられないようだった。
(どうする…!というかどこに行っちゃったんだよマキアス!)
どうして今日話したばかりの相手の為にこんなに必死になっているのだろうとふと考える。
初めて会った気がしない。そしてあの思いこみの強さと真っ直ぐさを「らしい」と思う。
(なんなんだろう…この「知らない想い出」は…)
ふと昨日聞いたアンゼリカの言葉を思い出す。
前世で会ってでもいなければ。
アンゼリカはそう言いかけたのだ。
(前世だなんてバカげてると思うけど、どこかでそれで納得している俺がいる。クロウ達に感じる懐かしさと、あの夢…)
追い続けるクロウの背中。
そしてジュライに来てから度々よぎる、覚えのない記憶。
前世の自分の記憶なのだと言ってしまえば説明がついてしまうのだ。
(うーん、火に包まれながら考えることじゃないな…)
苦笑した瞬間、リィンは背筋に冷たい気配を感じて弾かれたように顔を上げた。
燃え盛る中に一つだけまだ火が回っていないタンクのようなものがある。
その上に小さな人影があった。
「誰だ!?」
「……そっちこそ、誰」
返ってきた声は驚くことに少女の声だった。
ぶわ、と熱風が炎と煙を吹き散らす。
その向こうに銀色の髪をした小柄な少女の姿があった。
(え……)
猫のような瞳と視線がぶつかって、またリィンの胸にあの感覚が湧き起こる。
リィンはあえて、その感覚に集中してみることにした。
すると胸の奥から一つの名前が浮かんできた。
「……フィー」
ぴくり、と少女が体を震わせた。
「なんで、わたしの名前…」
少女はタンクの上から目をこらしたようだった。
そして困惑したような顔をして、探るように自分の胸元を押さえた。
「リィン…?」
「…あぁ」
名前を呼んでくれたことが嬉しくてリィンは笑みを零したが、呼んだ本人は自分がその名を呼んだことに戸惑っているようだった。
フィーは音もなくタンクを蹴ると見上げる高さを事もなげに飛び降りてきた。
「なんだか猫みたいだな」
目の前に立ったフィーに苦笑してみせたが、彼女は真剣そのものの表情でじっとリィンの目を見つめてきた。
(猫って…目を逸らしたら負けなんだっけ)
別に負けたくないと思ったわけではなかったが、リィンもフィーの大きな瞳から目が逸らせなくなる。
先に目を逸らしたのはフィーの方だった。
まだ困ったように落ち着かない表情をしながら軽く地面を蹴ってリィンから距離を取った。
「早くここを出て。死にたくなければ」
「!」
まただ。
リィンはそう思って唇を噛んだ。
クロウも何も説明せずにただジュライから出て行けと言った。
どうしようもない疎外感と寂しさを感じてなんだか腹を立てたような気持ちになった。
「そういうわけにはいかない。友達がこの中に入っていってしまったんだ。マキアスを見つけるまでは俺も出て行くわけにはいかない」
「マキアス…?」
フィーはまた戸惑ったように胸を押さえた。
どうやら彼女はマキアスの名前にも反応しているようだった。
なんとなくそれにほっとしながらリィンは頷いた。
「大体危ないのはフィーも同じだろ。ここから出るなら一緒にだ」
「わたしは別に…んー…まぁいいや。とりあえずそのマキアスをさがそ」
「手伝ってくれるのか?」
こくん、とフィーは頷いて、左手の方を見つめた。
「他のところは一通り見て誰もいないの確認済み。多分いるならあっち」
「よし、行ってみよう。あまり長くはかけられない」
「ん」
先行して音もなく走り出したフィーの後を追って、リィンはまた走り出した。
続く!
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二話です。
出てくるキャラの順番にさして意味はないですが、中心になっているのがクロウとリィンなので必然的にそこらに関わりの強いキャラから出てきます。
Ⅶ組は全員出したいですが、今時点で正体のわからないミリアムはせ時間軸の設定上扱いづらいので出さない予定です。
というかあんな人数動かせないヨ!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
工場方面から逃げてきた人々と一緒に兵士に追い払われてリィンは仕方なくホテルのある辺りに戻って来ていた。
ホテルへ帰る気もせずになんとなく店舗が並ぶ辺りをうろついていたが、思考が堂々巡りを繰り返すせいで何も目に入ってこない。
やはりホテルへ戻ろうか、とため息をついて足を止めた瞬間、角から飛び出してきた小さな影とぶつかってしまった。
「ひゃっ?!」
「うわ!?すみません!」
咄嗟に相手の腕を取って転ばないように支えてやる。
だが大きな荷物を抱えていたらしく、反動で缶詰やら果物やらがばらばらと零れ落ちた。
「うわわわ、ど、どうしよう」
「す、すみません!拾います」
車道へ飛び出していきそうなリンゴを拾い上げながら横目で見ると、子供かと思った小さな影は小柄なだけでリィンと同じ年頃の少女のようだった。
愛嬌のある大きな目と視線がぶつかった瞬間、心臓が跳ねたような気がした。
(なんだ…これ、さっきと同じ…)
知っている。
彼女を知っているという感覚と奇妙な懐かしさが胸に湧き上がる。
拾い上げたものを抱えたまま呆然と彼女を見つめていると、最後の缶詰を拾って袋に戻した少女が困ったように見上げてきた。
「ごめんね?どこか怪我したりしなかった?」
動かなくなってしまったリィンを気遣うようにくりくりとした瞳が見上げてくる。
リィンは我に返って慌てて抱えた品物を彼女に返した。
「いや、こちらこそすみません。ちょっと考え事をしていたので…」
頭を下げると彼女はにっこり笑って首を振った。
「私こそ急いでて前が見えてなくて…怪我がなくてよかったよ」
どう考えても彼女にぶつかられてリィンの方が怪我をするとは思えないのだが、少女の気遣いにリィンはただ苦笑を返すに留めた。
改めてよく見て気付いたが、前が見えなかったのは何も急いでいたからだけではないようだ。
彼女が抱えた大きな紙袋は完全に少女の視界を覆っているし、見ればそれ以外にも腕にいくつか袋を提げている。
「…あの、よかったら荷物手伝いましょうか?」
「ええ?!い、いいよ、悪いもん」
「どうせすることがなくて暇してるだけだったので…もし迷惑でなければ」
言いながら一番の難物と思しき紙袋を彼女の腕から引き取った。
ふと見ず知らずの男にここまでされても警戒するだけだろうかと思ったが、少女は申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「ありがと!それじゃお願いしようかな。あ、ええっとね、私はトワ。貴方は?」
その名前とひだまりのような微笑み。
また胸の奥を何かが刺激するのを感じて思わず胸を押さえる。
「俺は…リィンです」
動揺を抑えて名乗ると、トワはほんの少しぴくりと体を震わせて、そして何かを探るようにじっとリィンを見つめた。
「あ、あの?」
真っ直ぐな視線がこそばゆくなって思わず問うと、トワはぱっと顔を赤らめて胸の前で両手を振った。
「あ、ごめんね。どこかで会ったかなぁって気がしたけど、気のせいかな。いこっか、あっちだよ」
半ば駆けるように進み出したトワの背中を見つめながら、リィンはもう一度何か思い出すことがないか胸の奥を探ってみた。
けれど確かに彼女を知っているという妙な確信以外はやはり霞がかったように何も浮かぶことはなかった。
「ただいまー!」
トワが扉を開くと同時に明るく声をかける。
リィンはその後に続きながら、扉をくぐる前に建物を見上げた。
こじんまりとした二階建ての一軒家で、その一階を喫茶店にしているようだった。
扉の横には小さな看板が出ていて、『ブラウン・シュガー』と書いてある。
「リィンくんどうしたの?入って入って!」
子供のような仕草で手招きをする姿に苦笑しつつリィンは小さな鈴のついた扉をくぐった。
中は小さいが落ち着いた色合いの雰囲気のいい店のようだ。
「ここ…トワ…さんのお店なんですか?」
一瞬呼びかけ方に違和感を感じる。
『さん』ではなく別の言葉をこの名前につけて呼んでいたことがある気がした。
(いやいや、初対面の相手だぞ、他に呼び方ないだろ)
リィンの逡巡に買ってきたものの整理を始めていたトワは気付かなかったようだ。
ぱたぱたと棚に品物を片づけながら少し首を傾げた。
「私の…ってわけじゃないかな」
「それって…」
「おかえりトワ。まったく、それだけの量の買い出しに行くなら私が戻るのを待っててほしかったな」
リィンが問い返すより先に店の奥からすらりとした体つきの女性が姿を現した。
短い髪と切れ長の瞳のせいか妙に中性的に見えるその女性にも、リィンはまるで以前からの知り合いのような既視感を覚えた。
「おや?君は…」
その女性の視線がリィンへと移る。
彼女は小さく目を瞠って、しばらく考え込むようにリィンを見つめた。
「…どこかでお会いしたかな?」
「…どうでしょう、俺もどこかでお会いしたような気がするんですが」
「…やっぱりそうだよね!」
横でぽんとトワが手を打つ。
「でも会ってたら思い出すと思うんだけどなぁ。それもアンちゃんも知ってるような人だったら絶対忘れたりしないと思うのに」
トワは悔しそうに頬をむくれさせた。
「アンちゃん?」
「あ、そっか。紹介するね。彼女はアンゼリカ。私はアンちゃんって呼んでるんだけど。私と一緒にここのお店をやってるんだよ」
それでようやく『私のってわけじゃない』という言葉の意味がわかった。
アンゼリカは妖艶に微笑みながら片目を瞑ってみせた。
「よろしく、えぇと…」
「リィンです。よろしくお願いします」
名乗りながら差し出された手を握る。
握った手の感触にリィンは少し体を硬くした。
(この感じ…この人、何か武術の心得がある)
子供のような立ち居振る舞いをするトワとは対照的にしなやかで隙の無い身のこなしで、ただの喫茶店経営者にはとても見えない。
リィンの反応に気付いたのか、アンゼリカは離した手でリィンの肩を軽く叩いた。
「まぁあまり硬くならないでくれ。なんだったら君もアンちゃんと呼んでくれて構わないよ」
「い、いやそれはさすがに遠慮します…」
いくらなんでも会って数分で女性に対してそれはハードルが高すぎる。
苦笑しているとトワが叱る顔をして腰に両手をあててアンゼリカを睨んだ。
「もーアンちゃんてばからかわないの。リィンくん座って。お茶でも出すよ。あ、コーヒーがいい?」
「え、いや俺はこれで」
思いつきで手伝ったようなものなのに、これ以上迷惑はかけたくなかった。
辞そうとするリィンにアンゼリカが悠然と微笑みかけた。
「遠慮することはないさ。トワを手伝ってくれたなら盛大に恩返しをしないとね。昼食は?」
横目で見れば店内に他に客はいないようだった。
二人に感じた既視感が気になったこともあって、リィンは素直に申し出を受けることにした。
「それじゃあお邪魔します。あ、お茶でお願いします…昼食は」
大丈夫です、と続けようとした瞬間に腹の虫が鳴った。
そういえば列車内でサンドイッチを口にしたきり何も食べていない。
リィンは耳まで赤くなるのを感じて俯いた。
「ふふっ、まだみたいだね。待っててね、カレーがあるから持ってくるよ。あれ、そういえばクロウくんが作ってくれたサンドイッチもあったっけ?」
「あれはさっきジョルジュが持って行ったよ。元々店用に作ったものじゃないみたいだし」
「え!?」
思いもよらない名前が飛び出してリィンはスツールへ落ち着けかけた腰を再度浮かせた。
その反応に二人が驚いたようにリィンを見つめた。
「…そんなに食べたかったのかい?なら今からでも作るけど」
「いやいやいやそっちじゃなくて!今、今クロウって!」
「クロウくんを知ってるの?」
導力ポッドに水を注ぎながらトワが首を傾げた。
リィンはいきりたったもののなんと答えたものか少し躊躇った。
知っているといえば知っているが、正直知っていると言えるほど知ってはいない。
かといってこれをそのまま説明すると怪しい以外の何物でもない。
「ええと…実は色々あって、彼を探していて」
「クロウを探す?」
その言葉でアンゼリカの気配が少し鋭くなった気がした。
見ればトワにも緊張した気配がある。
(なんだ…?)
全て説明して不審がられるならともかく、この一言でこの二人の反応は奇妙だった。
「あの…俺何か変なこと言いましたか」
気まずくなって問うと二人は顔を見合わせ、しばし見つめ合ってから互いに頷いた。
「いや、あいつあちこちでトラブルを起こしてくるからまた何かしたのかと思ってね。
ゲームで負けてそのまま逃げたとか、賭けに負けて借金したとか…」
「えぇ…」
呆れて思わず気の抜けた声が出た。
そんなヤツを探しているのか、と思うと同時に彼らしいとため息をつくような思いがあるのが不思議だった。
「いや特にまだ迷惑をかけられてはいないんですが。…その、すごく…変な話なので、話しても信じてもらえるかどうか…」
言い淀むと二人はまた顔を見合わせた。
「ならお茶が入ってからにしようか。アンちゃんもお茶でいい?」
「そうだな。ついでに私も食事にしよう。トワも食べるかい?」
「うんっ。あ、リィンくんは座っててね」
「え、あ、はい」
ぱたぱたと動き始めた二人をしばらく所在なげに見つめていたが、手を出せることもなさそうだったので再び椅子に腰をおろした。
あんな雲をつかむような話をするのは気が引けるが、クロウを知っているなら彼の居場所もわかるかもしれない。
ようやく手がかりと言えそうなものを掴めてリィンは逸る心を抑えるように太刀を握り締めた。
※
「へぇー…なんだか不思議なお話だねぇ」
トワが淹れてくれたお茶に店のメニューの一つらしいカレーをお供にリィン自分が見続けた夢の話を二人にした。
先ほどクロウに出会った時の話もしたものか迷ったが、場所とタイミングが微妙だっただけに告げていいことなのかわからず言えなかった。
だから、クロウという名前だけは知っていた、という嘘をつく羽目になってしまった。
「…こんな話、信じてもらえるんですか?」
少しだけうしろめたさを感じながら問うと、トワはカレーの最後の一口を飲み込んでからにっこり笑った。
「リィンくんが嘘言ってるようには見えないもん。…それに、私とアンちゃんもリィンくんに初めて会った気がしないし」
ね、とアンゼリカに微笑みかけると彼女も頷いた。
「それにそんな素っ頓狂な作り話をするメリットが君にない。なんらかの思惑があって嘘をついているならもっとそれらしい話がいくらでも作れるだろうしね」
「やっぱり素っ頓狂ですよね…」
「もう、アンちゃんてば!」
「別にバカにしたつもりはないよ。でも不思議な話なのは確かだろう?会った事の無い人間をずっと夢に見ていて、それが行った事も無い街で実在してるなんて。前世で会ってるなんてことでもなければ…」
「アン、トワ、またあったみたいだ」
アンゼリカの言葉を遮るようにして店の奥から大柄な男が出てきた。
作業着のような服装の腹の部分が見事に突き出ている、温和な顔つきの男性だった。
ジョルジュ先輩。
頭に名前が閃いて、リィンは自分に驚愕した。
(また…!この人もしって、る?)
先ほどアンゼリカがその名を出していた気がするし、状況から考えると店の奥から出てきた以上、その名が彼の名であると予測はできる。
けれど名前の後ろに無意識でつけた『先輩』の文字にまるで心当たりがない。
「また…ってジョルジュくん」
「まさか」
「そのまさかだよ…おっと、お客さんかい?」
リィンの物思いをよそに会話を続けていたジョルジュはそこでようやく自分の存在に気付いたようだった。
どうやら自分は外した方が良さそうだ。
そう考えてリィンは物思いを断ち切って椅子から立ち上がった。
「なんだかお取込みのようなのでそろそろ失礼します。…また来ても大丈夫ですか?」
もしかしたらクロウもここに来るかもしれない。
それに彼らに感じる既視感も見過ごせなかった。
「ご、ごめんねリィンくん。もちろんいつでも来て」
「ごめんよ、なんだか邪魔しちゃったみたいだ」
ジョルジュが申し訳なさそうに頭をかくのに、リィンは首を振って微笑んだ。
「こちらこそお邪魔しました。それとごちそうさまです。お茶もカレーもすごくおいしかったです」
「お粗末さま。今度はクロウもいるといいんだが」
そうあってほしいものだ。
リィンは頷いてもう一度感謝を告げてから店を出た。
少しずつ、日が傾き始めていた。
※
ある程度の準備は出発前にしてきたものの、あまり大荷物を持ち歩くのも躊躇われたので最低限のものしか持って来ていなかったリィンはホテルに戻るまでにいくらか買い出しをした。
これでしばらくジュライに滞在するのに不便はないだろう。
あとは金銭がどの程度続くか次第だった。
出立前に両親からいくらか余計に預かった。
自分の勝手のために申し訳ないと思ったが、どれだけ滞在することになるかわからなかったのでいつか返すと自分に言い聞かせて受け取った。
リィンにも何をどうすれば決着がついて自分が故郷に戻る気になれるのかわからない以上、いくらあっても多いとは言えないのだ。
(クロウには会えた…でも会ってどうしたかったんだ?)
ベッドに横たわって物思いに耽る。
自宅の部屋のものとは違う色の天井に今日の一瞬の出会いを映すように思い返した。
(あちらも俺を見て何かを感じたみたいだった。それに…)
トワ、アンゼリカ、そしてジョルジュ。
ジョルジュが自分に既視感を感じてくれたのかはわからないが、少なくともリィン自身はトワとアンゼリカに感じたものと同じものを感じた。
(あれ、そういえば…)
衝撃的なことが色々あって忘れていたが、工場の事件前に港で会った少年にも既視感を感じたことを思い出した。
「…俺、こういう病気とかじゃないだろうな…」
見かける度に相手に会った事があると思いこむただの妄想狂だとしたら目も当てられない。
けれどトワやアンゼリカの言葉がそれを否定する。
(二人も俺のことを知っている気がすると言ってくれた。それにクロウも、間違いなく知らないはずの俺の名前を呼んだ)
今、こうして思い出してもそのことをどうしようもなく嬉しく感じた。
だがそれと同時にひどく辛い思いをしたような焦りも蘇ってくる。
離れている間に何か取り返しのつかないことが起こってしまうような感覚と喪失感。
「ああもう!!」
どうにもならない切なさで頭がいっぱいになりそうになってリィンは飛び起きた。
がしがしと頭を掻いて落ち着け、と自分に言い聞かせる。
(少なくとも今のジュライで今日明日にも一般人がどうにかなるような事が起きるとは思えない。
クロウだって素人の身のこなしじゃなかったし、もし何か危険な状況ならトワさん達もあんな様子じゃないだろうし)
また明日あの店に行けばきっと会える。
そう自分に言い聞かせてリィンは明かりを消して再び横になった。
(知りたい…あの夢はなんなのか、俺はどうしてあの人達を知ってるのか)
それまでは故郷に帰ることなどできない。
焦るな、ともう一度自分の内に呟いてリィンは目を閉じた。
夢を見ていた。
ぼんやりと風景に霞がかかっていてどこか色褪せたように見えることでそれが夢だと気付いた。
夢の中には自分が立っていた。
(学校の制服…?)
自分は見たこともない赤い制服を纏って見たこともない場所に立っていた。
知らないはずなのに、その制服も場所も胸が痛くなるほど懐かしかった。
自分は目の前の建物に入ろうとしているようで二階建ての建物を見上げていた。
『よ、後輩君』
声がかけられて自分が振り向く。
その視線の先に―――――
「クロウ!!」
実際に叫んだのか、夢の中で叫んだのか、とにかく叫んだ感覚で目が覚めた。
リィンはむくりと起き上がってベッド横の窓から差し込む日差しに目をこすった。
「なんだ今の夢…」
これまで見てきた夢とは違う夢だった。
あんな場所に行った覚えはないし、制服もリィンがユミルで通った学校とは違うものだった。
「でも…知ってる…。俺はあそこを知ってる…」
そしてあの情景も知っている気がした。
『ゲームで負けてそのまま逃げたとか、賭けに負けて借金したとか…』
ふと昨日のアンゼリカの言葉が頭に蘇った。
そう、確か何か勝負だかゲームだかをしたのだ。
「50、ミラ」
無意識の自分の呟きに引き出されるように『知らない記憶』が蘇る。
(そうだ、50ミラを貸した…というか持って行かれたんだ…)
それが出会いだった。
初対面の人間の所業としては割と最悪の部類に入る気がする。
「ろくでもないのは自分じゃないか…」
呟きながらリィンは何故か自分が笑っていることに気付いた。
そんなむちゃくちゃな出会いの想い出が大切でたまらない。
(やっぱり確かめないと)
リィンは頭を振って眠気を追い払うと出かける準備をするべくベッドから出た。
続く!
出てくるキャラの順番にさして意味はないですが、中心になっているのがクロウとリィンなので必然的にそこらに関わりの強いキャラから出てきます。
Ⅶ組は全員出したいですが、今時点で正体のわからないミリアムはせ時間軸の設定上扱いづらいので出さない予定です。
というかあんな人数動かせないヨ!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
工場方面から逃げてきた人々と一緒に兵士に追い払われてリィンは仕方なくホテルのある辺りに戻って来ていた。
ホテルへ帰る気もせずになんとなく店舗が並ぶ辺りをうろついていたが、思考が堂々巡りを繰り返すせいで何も目に入ってこない。
やはりホテルへ戻ろうか、とため息をついて足を止めた瞬間、角から飛び出してきた小さな影とぶつかってしまった。
「ひゃっ?!」
「うわ!?すみません!」
咄嗟に相手の腕を取って転ばないように支えてやる。
だが大きな荷物を抱えていたらしく、反動で缶詰やら果物やらがばらばらと零れ落ちた。
「うわわわ、ど、どうしよう」
「す、すみません!拾います」
車道へ飛び出していきそうなリンゴを拾い上げながら横目で見ると、子供かと思った小さな影は小柄なだけでリィンと同じ年頃の少女のようだった。
愛嬌のある大きな目と視線がぶつかった瞬間、心臓が跳ねたような気がした。
(なんだ…これ、さっきと同じ…)
知っている。
彼女を知っているという感覚と奇妙な懐かしさが胸に湧き上がる。
拾い上げたものを抱えたまま呆然と彼女を見つめていると、最後の缶詰を拾って袋に戻した少女が困ったように見上げてきた。
「ごめんね?どこか怪我したりしなかった?」
動かなくなってしまったリィンを気遣うようにくりくりとした瞳が見上げてくる。
リィンは我に返って慌てて抱えた品物を彼女に返した。
「いや、こちらこそすみません。ちょっと考え事をしていたので…」
頭を下げると彼女はにっこり笑って首を振った。
「私こそ急いでて前が見えてなくて…怪我がなくてよかったよ」
どう考えても彼女にぶつかられてリィンの方が怪我をするとは思えないのだが、少女の気遣いにリィンはただ苦笑を返すに留めた。
改めてよく見て気付いたが、前が見えなかったのは何も急いでいたからだけではないようだ。
彼女が抱えた大きな紙袋は完全に少女の視界を覆っているし、見ればそれ以外にも腕にいくつか袋を提げている。
「…あの、よかったら荷物手伝いましょうか?」
「ええ?!い、いいよ、悪いもん」
「どうせすることがなくて暇してるだけだったので…もし迷惑でなければ」
言いながら一番の難物と思しき紙袋を彼女の腕から引き取った。
ふと見ず知らずの男にここまでされても警戒するだけだろうかと思ったが、少女は申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「ありがと!それじゃお願いしようかな。あ、ええっとね、私はトワ。貴方は?」
その名前とひだまりのような微笑み。
また胸の奥を何かが刺激するのを感じて思わず胸を押さえる。
「俺は…リィンです」
動揺を抑えて名乗ると、トワはほんの少しぴくりと体を震わせて、そして何かを探るようにじっとリィンを見つめた。
「あ、あの?」
真っ直ぐな視線がこそばゆくなって思わず問うと、トワはぱっと顔を赤らめて胸の前で両手を振った。
「あ、ごめんね。どこかで会ったかなぁって気がしたけど、気のせいかな。いこっか、あっちだよ」
半ば駆けるように進み出したトワの背中を見つめながら、リィンはもう一度何か思い出すことがないか胸の奥を探ってみた。
けれど確かに彼女を知っているという妙な確信以外はやはり霞がかったように何も浮かぶことはなかった。
「ただいまー!」
トワが扉を開くと同時に明るく声をかける。
リィンはその後に続きながら、扉をくぐる前に建物を見上げた。
こじんまりとした二階建ての一軒家で、その一階を喫茶店にしているようだった。
扉の横には小さな看板が出ていて、『ブラウン・シュガー』と書いてある。
「リィンくんどうしたの?入って入って!」
子供のような仕草で手招きをする姿に苦笑しつつリィンは小さな鈴のついた扉をくぐった。
中は小さいが落ち着いた色合いの雰囲気のいい店のようだ。
「ここ…トワ…さんのお店なんですか?」
一瞬呼びかけ方に違和感を感じる。
『さん』ではなく別の言葉をこの名前につけて呼んでいたことがある気がした。
(いやいや、初対面の相手だぞ、他に呼び方ないだろ)
リィンの逡巡に買ってきたものの整理を始めていたトワは気付かなかったようだ。
ぱたぱたと棚に品物を片づけながら少し首を傾げた。
「私の…ってわけじゃないかな」
「それって…」
「おかえりトワ。まったく、それだけの量の買い出しに行くなら私が戻るのを待っててほしかったな」
リィンが問い返すより先に店の奥からすらりとした体つきの女性が姿を現した。
短い髪と切れ長の瞳のせいか妙に中性的に見えるその女性にも、リィンはまるで以前からの知り合いのような既視感を覚えた。
「おや?君は…」
その女性の視線がリィンへと移る。
彼女は小さく目を瞠って、しばらく考え込むようにリィンを見つめた。
「…どこかでお会いしたかな?」
「…どうでしょう、俺もどこかでお会いしたような気がするんですが」
「…やっぱりそうだよね!」
横でぽんとトワが手を打つ。
「でも会ってたら思い出すと思うんだけどなぁ。それもアンちゃんも知ってるような人だったら絶対忘れたりしないと思うのに」
トワは悔しそうに頬をむくれさせた。
「アンちゃん?」
「あ、そっか。紹介するね。彼女はアンゼリカ。私はアンちゃんって呼んでるんだけど。私と一緒にここのお店をやってるんだよ」
それでようやく『私のってわけじゃない』という言葉の意味がわかった。
アンゼリカは妖艶に微笑みながら片目を瞑ってみせた。
「よろしく、えぇと…」
「リィンです。よろしくお願いします」
名乗りながら差し出された手を握る。
握った手の感触にリィンは少し体を硬くした。
(この感じ…この人、何か武術の心得がある)
子供のような立ち居振る舞いをするトワとは対照的にしなやかで隙の無い身のこなしで、ただの喫茶店経営者にはとても見えない。
リィンの反応に気付いたのか、アンゼリカは離した手でリィンの肩を軽く叩いた。
「まぁあまり硬くならないでくれ。なんだったら君もアンちゃんと呼んでくれて構わないよ」
「い、いやそれはさすがに遠慮します…」
いくらなんでも会って数分で女性に対してそれはハードルが高すぎる。
苦笑しているとトワが叱る顔をして腰に両手をあててアンゼリカを睨んだ。
「もーアンちゃんてばからかわないの。リィンくん座って。お茶でも出すよ。あ、コーヒーがいい?」
「え、いや俺はこれで」
思いつきで手伝ったようなものなのに、これ以上迷惑はかけたくなかった。
辞そうとするリィンにアンゼリカが悠然と微笑みかけた。
「遠慮することはないさ。トワを手伝ってくれたなら盛大に恩返しをしないとね。昼食は?」
横目で見れば店内に他に客はいないようだった。
二人に感じた既視感が気になったこともあって、リィンは素直に申し出を受けることにした。
「それじゃあお邪魔します。あ、お茶でお願いします…昼食は」
大丈夫です、と続けようとした瞬間に腹の虫が鳴った。
そういえば列車内でサンドイッチを口にしたきり何も食べていない。
リィンは耳まで赤くなるのを感じて俯いた。
「ふふっ、まだみたいだね。待っててね、カレーがあるから持ってくるよ。あれ、そういえばクロウくんが作ってくれたサンドイッチもあったっけ?」
「あれはさっきジョルジュが持って行ったよ。元々店用に作ったものじゃないみたいだし」
「え!?」
思いもよらない名前が飛び出してリィンはスツールへ落ち着けかけた腰を再度浮かせた。
その反応に二人が驚いたようにリィンを見つめた。
「…そんなに食べたかったのかい?なら今からでも作るけど」
「いやいやいやそっちじゃなくて!今、今クロウって!」
「クロウくんを知ってるの?」
導力ポッドに水を注ぎながらトワが首を傾げた。
リィンはいきりたったもののなんと答えたものか少し躊躇った。
知っているといえば知っているが、正直知っていると言えるほど知ってはいない。
かといってこれをそのまま説明すると怪しい以外の何物でもない。
「ええと…実は色々あって、彼を探していて」
「クロウを探す?」
その言葉でアンゼリカの気配が少し鋭くなった気がした。
見ればトワにも緊張した気配がある。
(なんだ…?)
全て説明して不審がられるならともかく、この一言でこの二人の反応は奇妙だった。
「あの…俺何か変なこと言いましたか」
気まずくなって問うと二人は顔を見合わせ、しばし見つめ合ってから互いに頷いた。
「いや、あいつあちこちでトラブルを起こしてくるからまた何かしたのかと思ってね。
ゲームで負けてそのまま逃げたとか、賭けに負けて借金したとか…」
「えぇ…」
呆れて思わず気の抜けた声が出た。
そんなヤツを探しているのか、と思うと同時に彼らしいとため息をつくような思いがあるのが不思議だった。
「いや特にまだ迷惑をかけられてはいないんですが。…その、すごく…変な話なので、話しても信じてもらえるかどうか…」
言い淀むと二人はまた顔を見合わせた。
「ならお茶が入ってからにしようか。アンちゃんもお茶でいい?」
「そうだな。ついでに私も食事にしよう。トワも食べるかい?」
「うんっ。あ、リィンくんは座っててね」
「え、あ、はい」
ぱたぱたと動き始めた二人をしばらく所在なげに見つめていたが、手を出せることもなさそうだったので再び椅子に腰をおろした。
あんな雲をつかむような話をするのは気が引けるが、クロウを知っているなら彼の居場所もわかるかもしれない。
ようやく手がかりと言えそうなものを掴めてリィンは逸る心を抑えるように太刀を握り締めた。
※
「へぇー…なんだか不思議なお話だねぇ」
トワが淹れてくれたお茶に店のメニューの一つらしいカレーをお供にリィン自分が見続けた夢の話を二人にした。
先ほどクロウに出会った時の話もしたものか迷ったが、場所とタイミングが微妙だっただけに告げていいことなのかわからず言えなかった。
だから、クロウという名前だけは知っていた、という嘘をつく羽目になってしまった。
「…こんな話、信じてもらえるんですか?」
少しだけうしろめたさを感じながら問うと、トワはカレーの最後の一口を飲み込んでからにっこり笑った。
「リィンくんが嘘言ってるようには見えないもん。…それに、私とアンちゃんもリィンくんに初めて会った気がしないし」
ね、とアンゼリカに微笑みかけると彼女も頷いた。
「それにそんな素っ頓狂な作り話をするメリットが君にない。なんらかの思惑があって嘘をついているならもっとそれらしい話がいくらでも作れるだろうしね」
「やっぱり素っ頓狂ですよね…」
「もう、アンちゃんてば!」
「別にバカにしたつもりはないよ。でも不思議な話なのは確かだろう?会った事の無い人間をずっと夢に見ていて、それが行った事も無い街で実在してるなんて。前世で会ってるなんてことでもなければ…」
「アン、トワ、またあったみたいだ」
アンゼリカの言葉を遮るようにして店の奥から大柄な男が出てきた。
作業着のような服装の腹の部分が見事に突き出ている、温和な顔つきの男性だった。
ジョルジュ先輩。
頭に名前が閃いて、リィンは自分に驚愕した。
(また…!この人もしって、る?)
先ほどアンゼリカがその名を出していた気がするし、状況から考えると店の奥から出てきた以上、その名が彼の名であると予測はできる。
けれど名前の後ろに無意識でつけた『先輩』の文字にまるで心当たりがない。
「また…ってジョルジュくん」
「まさか」
「そのまさかだよ…おっと、お客さんかい?」
リィンの物思いをよそに会話を続けていたジョルジュはそこでようやく自分の存在に気付いたようだった。
どうやら自分は外した方が良さそうだ。
そう考えてリィンは物思いを断ち切って椅子から立ち上がった。
「なんだかお取込みのようなのでそろそろ失礼します。…また来ても大丈夫ですか?」
もしかしたらクロウもここに来るかもしれない。
それに彼らに感じる既視感も見過ごせなかった。
「ご、ごめんねリィンくん。もちろんいつでも来て」
「ごめんよ、なんだか邪魔しちゃったみたいだ」
ジョルジュが申し訳なさそうに頭をかくのに、リィンは首を振って微笑んだ。
「こちらこそお邪魔しました。それとごちそうさまです。お茶もカレーもすごくおいしかったです」
「お粗末さま。今度はクロウもいるといいんだが」
そうあってほしいものだ。
リィンは頷いてもう一度感謝を告げてから店を出た。
少しずつ、日が傾き始めていた。
※
ある程度の準備は出発前にしてきたものの、あまり大荷物を持ち歩くのも躊躇われたので最低限のものしか持って来ていなかったリィンはホテルに戻るまでにいくらか買い出しをした。
これでしばらくジュライに滞在するのに不便はないだろう。
あとは金銭がどの程度続くか次第だった。
出立前に両親からいくらか余計に預かった。
自分の勝手のために申し訳ないと思ったが、どれだけ滞在することになるかわからなかったのでいつか返すと自分に言い聞かせて受け取った。
リィンにも何をどうすれば決着がついて自分が故郷に戻る気になれるのかわからない以上、いくらあっても多いとは言えないのだ。
(クロウには会えた…でも会ってどうしたかったんだ?)
ベッドに横たわって物思いに耽る。
自宅の部屋のものとは違う色の天井に今日の一瞬の出会いを映すように思い返した。
(あちらも俺を見て何かを感じたみたいだった。それに…)
トワ、アンゼリカ、そしてジョルジュ。
ジョルジュが自分に既視感を感じてくれたのかはわからないが、少なくともリィン自身はトワとアンゼリカに感じたものと同じものを感じた。
(あれ、そういえば…)
衝撃的なことが色々あって忘れていたが、工場の事件前に港で会った少年にも既視感を感じたことを思い出した。
「…俺、こういう病気とかじゃないだろうな…」
見かける度に相手に会った事があると思いこむただの妄想狂だとしたら目も当てられない。
けれどトワやアンゼリカの言葉がそれを否定する。
(二人も俺のことを知っている気がすると言ってくれた。それにクロウも、間違いなく知らないはずの俺の名前を呼んだ)
今、こうして思い出してもそのことをどうしようもなく嬉しく感じた。
だがそれと同時にひどく辛い思いをしたような焦りも蘇ってくる。
離れている間に何か取り返しのつかないことが起こってしまうような感覚と喪失感。
「ああもう!!」
どうにもならない切なさで頭がいっぱいになりそうになってリィンは飛び起きた。
がしがしと頭を掻いて落ち着け、と自分に言い聞かせる。
(少なくとも今のジュライで今日明日にも一般人がどうにかなるような事が起きるとは思えない。
クロウだって素人の身のこなしじゃなかったし、もし何か危険な状況ならトワさん達もあんな様子じゃないだろうし)
また明日あの店に行けばきっと会える。
そう自分に言い聞かせてリィンは明かりを消して再び横になった。
(知りたい…あの夢はなんなのか、俺はどうしてあの人達を知ってるのか)
それまでは故郷に帰ることなどできない。
焦るな、ともう一度自分の内に呟いてリィンは目を閉じた。
夢を見ていた。
ぼんやりと風景に霞がかかっていてどこか色褪せたように見えることでそれが夢だと気付いた。
夢の中には自分が立っていた。
(学校の制服…?)
自分は見たこともない赤い制服を纏って見たこともない場所に立っていた。
知らないはずなのに、その制服も場所も胸が痛くなるほど懐かしかった。
自分は目の前の建物に入ろうとしているようで二階建ての建物を見上げていた。
『よ、後輩君』
声がかけられて自分が振り向く。
その視線の先に―――――
「クロウ!!」
実際に叫んだのか、夢の中で叫んだのか、とにかく叫んだ感覚で目が覚めた。
リィンはむくりと起き上がってベッド横の窓から差し込む日差しに目をこすった。
「なんだ今の夢…」
これまで見てきた夢とは違う夢だった。
あんな場所に行った覚えはないし、制服もリィンがユミルで通った学校とは違うものだった。
「でも…知ってる…。俺はあそこを知ってる…」
そしてあの情景も知っている気がした。
『ゲームで負けてそのまま逃げたとか、賭けに負けて借金したとか…』
ふと昨日のアンゼリカの言葉が頭に蘇った。
そう、確か何か勝負だかゲームだかをしたのだ。
「50、ミラ」
無意識の自分の呟きに引き出されるように『知らない記憶』が蘇る。
(そうだ、50ミラを貸した…というか持って行かれたんだ…)
それが出会いだった。
初対面の人間の所業としては割と最悪の部類に入る気がする。
「ろくでもないのは自分じゃないか…」
呟きながらリィンは何故か自分が笑っていることに気付いた。
そんなむちゃくちゃな出会いの想い出が大切でたまらない。
(やっぱり確かめないと)
リィンは頭を振って眠気を追い払うと出かける準備をするべくベッドから出た。
続く!
閃の軌跡シリーズの二次創作小説です。
クロウの死に対する気持ちの整理が今に至るもどうしてもできず、
かといって他の皆さんがされたような死ななかった未来、IF妄想もうまいことできず、
結果来世に期待!という選択肢しか浮かばなかったクロウバカの書いた、
200年後の帝国を舞台にした捏造来世妄想ですが、それでもいいという方には読んでいただければ幸いです。
オリキャラは出してないですが、まだ出て来ていないジュライを舞台にしているのと、当然ながら軌跡シリーズ自体が途中な時点での200年後なので多分に捏造を含みますのでご注意を。
長くなると思います。ちょっとずつ書いていきます。
ではどうぞ・・・。
…一つだけ悔いがあるのです。
決して幸せでなかったわけではないだろうけれど。
それでも、欠けてしまったもののことがどうしても気になっていて。
だからわがままとわかっていても、もう一度機会を作らせてください。
どうか今度こそは――――
欠け代えの無い幸せを。
※
果てしなく広がる青色の空。
揺れるタクシーの窓枠に肘をついて、『彼』は静かにそれを見上げていた。
雲一つないせいか同じ色を延々と続ける空を見ていると前へ進んでいるという意識が希薄になる。
なんとなくそれにもどかしさを覚えて彼は視線を運転手へと移した。
それに気付いたわけでもあるまいが、運転手がバックミラー越しに笑みを浮かべた。
「しかし珍しいね、あんたみたいな若いのがジュライに行くなんて」
彼はその言葉に首を傾げた。
「あまり若い人は行かないような街なんですか?」
「いやぁそうじゃないよ。あぁ、まだ首都の辺りでしかニュースになってないのかな。
…今あそこはね、不穏なんだよ」
「不穏…?」
言葉の響きに思わず座席に寄りかけていた背筋をぴんと伸ばした。
運転手は眉をひそめた表情で頷いた。
「知ってるかな、あそこは200年前かそこらまで別の国だったんだ」
「はい、歴史の授業で習いました。…ジュライ、市国でしたっけ」
「そうそう。それがね、なんで今さらそんなことを言い出したのか、
そもそもは別の国だったのだからジュライの利益は全てジュライの民にのみ還元されるべきである、なんつってね。
ジュライ議会がジュライをエレボニアと同等の一国として扱うことを要求してきたんだよ」
「まさか…そんなこと」
彼は思わず眉を寄せた。
いくら帝国が解体されて以後各州が自治統治する部分が多くなったとはいえ、唐突な上に途方もない要求だ。
首都議会が受け入れるとは到底思えない。
「無茶だと思うけどねぇ。首都から説得が行ったらしいけど、噂じゃずいぶん酷い追い返し方をしたらしいよ」
「それは…不穏ですね」
「そうなんだよ。だからさ、内戦になるかも…なんて話もあってね。それもあって仕事でもなけりゃあジュライに行く人間は減ってるよ。列車も本数を減らしてる。その内止まっちまうかもな」
その言葉に彼は少し微笑んだ。
「なら間に合ってよかったです。どうしても行かなきゃならないから」
逆に運転手は彼の言葉に眉をひそめた。
「なんだい、家族でもいるのかい?」
「いえ……人探しなんですが」
彼は照れくさそうに頬をかいた。
「人探しか。恋人とかかい」
からかい混じりの運転手の言葉に彼は少し顔を赤くして慌てて首を振った。
「そういうのじゃなくて、その……なんていうか、馬鹿みたいな話なんですけど」
彼は困ったように笑って言い淀んだ。
運転手がバックミラー越しの視線で続けるよう促すと、彼はもう一度「馬鹿みたいな話なんですけど」と言い置いて続けた。
「どんな人なのか、実はよくわからないんです」
「わからない人をなんだって探すんだい」
呆れたような運転手の言葉に苦笑して、彼はまた濃い青の空を見上げた。
「夢を見るんです。もう小さい頃からずっと。その夢の中で俺は誰かを追いかけてるんですけど、どうしても顔は見えなくて、追いつくこともできなくて…」
夢の中で感じていたもどかしさを思い出して彼は無意識に膝の上の拳を握り締めた。
もう何年も見続けている夢なのに、意識して思い返そうとしなければただでさえ漠然とした夢はさらに霞がかって遠のいていく。
それだけ、その夢は儚い。
「ジュライって名前を聞いた時、そこだ、行かなきゃって何故か思ったんです。準備して家族を説得して、ようやく本当にここまで来れた。だから、間に合ってよかったです」
そう言って微笑むと、呆気にとられていた運転手はつられたように笑みを浮かべた。
「よくわからんが、無事会えるといいなぁ。…名前もわかんないのかい」
問われて彼は記憶をたぐろうと眉根を寄せた。
「思い…出せそうな気もするんです。夢の中の俺は名前を呼んでいるはずなのに…。でもジュライに近付くほど何か思い出せそうな感覚があって」
彼は窓に額を寄せて前方に見えてきた街並みを睨み付けるようにした。
「…あと、少しなのに」
「ありがとうございました」
料金を支払って車の扉を開く。
そこは街の玄関口に当たるターミナルのようだった。
彼が乗ってきたタクシーの他にもバスや車が何台も止まっている。
初めて見る街並みに目を奪われていると運転手は座席越しに振り返って彼を見た。
「探し人が無事見つかるよう祈ってるよ。ジュライにはちょくちょく来てるしここいらの出身だから助けになれるかもしれねぇ。何かあったらこのターミナルまで来てくれ。…あぁそういやにいちゃん、名前はなんてんだ?」
彼は振り返って微笑んだ。
「リィンといいます。もし何かあったら頼らせてもらいます。…ありがとうございました」
彼――リィンは感謝を込めて折り目正しく頭を下げた。
※
タクシーの運転手に別れを告げ、ターミナルから街中を走る大通りへと出たリィンはジュライの街並みを見渡して感嘆のため息をついた。
「すごいな…さすがにユミルとじゃ全然違う」
リィンの故郷は観光地ではあるものの、さして大きな町ではない。
港町であり、他国との貿易の玄関口でもあるジュライとは都市の規模は比べ物にならなかった。
(それに…潮の香りがする)
険しい山間にあるユミルとは空気の色合いも匂いも何もかもが違う。
自分が故郷から遠く離れた場所に来たことを実感してリィンは少し心細い気がした。
けれど立ち止まっているわけにもいかなかった。
何の当てもなくここまで来たから今晩の宿から探さなければならない。
幸いそれに関しては先ほどの運転手がいいホテルを教えてくれていた。
リィンはメモを頼りに大通りに沿って歩き出す。
(確かにちょっとぴりぴりはしてる気がするな。それに兵士の数が多い……いや、ユミルと比べちゃいけないのかな)
それぞれの自治州は国に認められた規模で州兵という自分達の軍を所有している。
ジュライとユミルでは所属する州が違う為兵士の制服が少し違う。
そのせいかなんだかあちこちに険しい顔をして立つ兵士の姿に違和感を感じる気がした。
とはいえ、街を行く人々からは内戦直前というほどの緊張感は感じない。
(エレボニアから独立して一つの国家として立つ…なんて、本気で考えてるのかな)
かつて帝国であった頃の厳然とした強さはないにしても、いまだに大陸屈指の大国である。
それを敵に回して戦うことにどんな利益があるのか、リィンにはわからなかった。
「………」
考えの及ばないことで悩んでいても仕方がない。
リィンは頭を一つ振って自分の目的を果たすことに気持ちを切り替えた。
「ここ…かな」
メモに描かれたホテル名と目の前に建つこじんまりとした、しかし小奇麗な建物にかかった看板を見比べる。
看板には『ウェストウィンズ』とくすんだ金色の文字で書かれていた。
「空いてるといいなぁ…」
硝子越しに見る限りロビーにあまり人はいないようだ。
眺めていても仕方ないのでリィンは意を決して扉をくぐった。
「いらっしゃいませ」
「すみません、今空いている部屋はありますか?」
問うなりフロントの若い男性は自嘲するような苦笑を浮かべた。
「空き放題泊りたい放題ですよ。ここしばらくの抗争のせいで観光客の方々はあらかた帰られてしまいましたしねぇ。
仕事でいらしてる方々もちょっとずつ引き上げているくらいです」
「こ、抗争?首都とですか?」
運転手に聞いていたより格段に物騒な単語が出て来てリィンは思わずたじろいだ。
誰かに愚痴を言いたかったらしく、フロントの男性はここぞとばかりに身を乗り出してきた。
「ご存じないんで?ここしばらくジュライは独立派と反対派の抗争が続いてるですよ。
互いの拠点に攻撃を仕掛けたりしてるせいで兵士がひっきりなしに走り回ってて物騒で仕方ない。
幸い今のところ民間人に怪我人は出てないようですが、それも子の調子じゃ…」
「それは…結構大事ですね…」
街中からは特別切迫した空気は感じなかったが、それでは観光客は逃げるだろう。
いかに客が減ってしまったかを語り続けようとする男性をなだめてリィンは当面の宿を取ることに成功した。
とりあえず一週間、それでだめならその時考えるつもりだった。
鍵を受け取ってエレベーターへ向かおうとしたリィンに受付の男性が声をかけた。
「もし途中でキャンセルされるようでもキャンセル料はいただいておりませんので、いつでもお申し付けください」
少し皮肉交じりの口調に苦笑しつつ礼を述べ、リィンは今度こそエレベーターへと向かった。
※
「さて…と」
荷物を部屋に置き、再びホテルの前の通りに立ったリィンは体を伸ばしてから左右を見まわした。
人通りも車通りもユミルから出たことのなかったリィンにしてみれば目が回るほど多い。
途方に暮れかけて、慌てて頭を振る。
(とりあえず地理を把握する意味でもぐるっと街を回ってみるか…)
決意を込めて背中の太刀を背負い直す。
あまり何かに熱中することのない性質だが、幼くして始めた剣術だけは身についた。
この太刀は師である老人からもらったもので、魔獣の出現も間遠なこのご時世抜くことはほぼないが、
こうして背負っていると身が引き締まり、気持ちが落ち着く気がした。
「それにしても…」
適当に、右手側に歩き始めてふと思う。
(前にもこんな風に知らない街を回ろうとしたことがあったような…?)
奇妙な既視感を覚えながら、リィンは当て所の無い探索を始めた。
「海と街がくっついてる…」
潮の香りに惹かれてリィンがまず辿り着いたのは港だった。
漁港ではなく貿易船が停泊する為の港で、今も大きな船が何隻か光る海面に威容を晒している。
山育ちのリィンにしてみると街がそのまま海に続く様は物珍しく、興味深かった。
見るともなしに忙しそうに立ち働く船乗りたちを遠巻きに見つめる。
…あの中に、あの人はいるだろうか。
「やはり…ずいぶん船が減っているな…」
「?」
物思いに沈んでいると、いつのまにか横に緑がかった黒髪の少年が立っていた。
リィンと同じ年頃だろうか、皺の無いシャツにきっちりジャケットを着込んだ服装と黒縁の眼鏡のせいか神経質そうな印象を受けた。
(あれ…どこかで…?)
知っているはずはないのだが、なぜかふと懐かしさを感じた。
覚えていないだけでどこかで会ったろうか、とついまじまじと見つめていると、少年はリィンの視線に気付いて慌てて咳ばらいをした。
「失礼」
気まずそうに軽く会釈をすると少年は足早に立ち去ってしまった。
リィンはしばらくその後ろ姿を不思議そうに見送っていたが、やはり記憶の中に彼の情報はなさそうだったので港へと視線を戻した。
(これ…船少ないのか)
ということはやはりフロントで言っていたように出入りする人間自体が減って来ているのだろう。
あの人も、ジュライを出てしまうだろうか。
「………」
夢で見た追いつけない背中を思い出し、妙な焦りを覚えてリィンは身を翻した。
立ち止まっている時間はなさそうだった。
※
改めてターミナルで手に入れたジュライ市街のパンフレットを開いてみる。
大きく分けて、先ほどリィンのいた港湾地区、ホテルや店舗の並ぶ商業地区、主に魚介類の加工工場のある工業地区、市民の暮らす居住地区、そして議事堂等のある行政地区がある。
首都ほどとはいかないが、エレボニア国内すべてを見ても五指に入る大都市である。
各州が保有する州兵の他にジュライ議会独自の警備隊も所有しており、さすがに独立などと無茶を言い出せるだけの地力はあるようだった。
リィンはしばしどこを目指すか悩んだが、ちらりと覗いた行政地区は兵士の数が尋常ではなく、下手に近付いても不審者扱いが関の山のような気がした。
(ホテルのある辺りはいつでも廻れるし…「これ」を持って今居住地区をうろうろするのもなぁ…)
一人苦笑しながら横目で太刀を見た。
不審者扱いされたくはないので、行政地区や居住地区といった余所者の出入りが少なさそうなところは避けた方が良さそうだった。
「となると工業地区かぁ…」
『彼』がどういう人物だかわからない以上工業地区に縁があるかどうかは判断のしようがないが、なんとなくあまり関係ないのではないか、という気がしてならない。
それでもどこに手がかりがあるかわからない現状では行く価値がないとも言い切れない。
「よし、とにかく行ってみるか」
パンフレットを閉じて歩き出す。
港湾地区と工業地区はその性質上隣合っている。
今いる場所からでも工場と思しき建物群を見て取ることができた。
それを目印にしばらく歩くと工業地区との境界線なのか、グレーのフェンスが見えた。
もしかして立ち入るには許可が必要なのだろうか、と足を止めた時だった。
「……!」
首筋にざわりと寒気が走った。
(なに…!?)
剣の修行で山に籠っていた時、獣に襲われる直前に感じた感覚、危機感。
その感覚がそれだ、と気付くと同時に爆音が鳴った。
「なっ…」
行く先、工場群の一角から焔と煙が巻き上がった。
重なるように、周囲から悲鳴や怒号が響き始めた。
「またか!反対派のやつらか!?」
誰かがあげた声でリィンも爆発が先ほどホテルで聞いた抗争によるものだと気付く。
港湾地区にほど近い場所だったのか、熱気が伝わってきさえする。
リィンは無意識に太刀を握り締めて焔のあがる方向を見つめた。
(どうする…?!土地勘のない俺が行っても…!)
周囲は混乱している。
兵士が次々と工場の方へ走って行くが、辺りで怯える市民には目もくれていないようだ。
(避難誘導だけでもやってみるか)
見れば子供を連れた女性などもちらほら見かける。
犯人たちがこちらに逃げてこないとも限らない。
港の方へ誘導すれば万が一の時守るくらいはできるかもしれない。
結論が出て、リィンが決意を行動に移そうとした時だった。
「えっ…」
リィンの立つ通りから一つ奥に入った細い路地、薄暗い裏通りを何かが駆け抜けて行った。
その人影に妙に目を惹きつけられて思わずその裏路地を凝視する。
「おいっ、どっちへいった!?」
「わからん、見失った、くそっ!」
するとフェンスから何人かの兵士が飛び出して来て悪態をついた。
追っていたのは…。
「っ……」
ほとんど衝動的にリィンは裏路地に沿って走り出した。
横目で裏路地を確認しながら人を避けて入っていると、いくつか建物を過ぎた時先ほどの人影が走りすぎていくのが一瞬見えた。
(見つけた!)
リィンは強く地面を蹴って裏路地に飛び込んだ。
「待て!」
鋭い声をあげると少し先で人影が足を止めた。
警戒するように半身で振り返ったその影はリィンとさして変わらない年頃の若い男に見えた。
周囲を建物に囲まれて路地は細く、薄暗い。
彼の顔は滲んだようにはっきりしなかった。
「動くな。動けば斬るぞ。……爆発のあった方から逃げてきたな。何か関係があるのか?」
彼からも見えるように太刀に手をかけ、にじるように徐々に距離を詰める。
すると男はリィンに比べるとよほど悠々とした態度で振り返り、笑みを浮かべた。
「へぇ、珍しいな、太刀か。物騒なもん持ってやがんなぁ」
その声音。
耳に届いた一瞬で心臓が跳ね上がった。
「………ぁ」
夢の光景が頭をよぎる。
追いつけない背中、届かない声。
それと同時に頭の中に白い光が満ちて、その奥にいくつかの光景が迸った。
『よ、後輩君』
『加勢するぜ、後輩ッ!』
『ったく、甘ったれめ。…わーった、そのうちにな』
『士官学院生……はただのフェイクだ』
『誰にも邪魔はさせねえ!オレとお前の最期の勝負を!』
『立ち止まんな!前を向いて、お前にしかできない事をやれ!』
『…ただひらすらに……ひたむきに……前へ…』
認識できないほど一気に様々な『知らない想い出』が去来する。
そしてその映像を頭が理解するより前に腕にずしりとした重さと徐々に薄れていく体温を感じてリィンは胸を締め上げるような切なさを覚えた。
(あ……)
思い出したいという切望と思い出したくないという拒絶が胸の奥でぶつかり合う。
それが収束して絞り出されるように口を突いて一つの名前が零れ出た。
「………クロウ」
そうだ。
そうだこの名前だ、ずっと夢の中で呼んでいたのは。
その名前を口にすると同時にようやく会えたというどうしようもない嬉しさが胸に溢れた。
唐突に名前を呼ばれた当のクロウは怪訝そうに眉を寄せた。
「なんでオレの名前を…」
言い差して、薄暗がりの中初めてまっすぐリィンと目を合わせた。
するとクロウの方も何か思い当たったように目を瞠った。
声が空気を震わせることはなかったが、間違いなくリィンの名の形に唇が動いた。
相手も自分を認識している、それで余計に嬉しくなってリィンは衝動的に駆け寄ろうと足を踏み出した。
が、それを抑えるようにクロウは逆に一歩下がった。
「オレに関わるな」
「え…」
突き放すように硬い声にリィンの足が止まる。
「ろくでもないことに巻き込まれたくなけりゃ、とっととジュライを出るんだな」
「クロ…」
問い返すより先にクロウが表通りに向かって走り出した。
「クロウ!」
慌てて追いかけたが表通りはいつの間にか工場地区から逃げてきたと思しき人々で溢れかえっていた。
どこを見回してもクロウの姿を見付けることはできず、リィンは深くため息をついた。
「どうして…」
彼の言葉と、そして自分の中に湧き上がった由来不明の感情に向けて呟く。
どうしてこんな気持ちになるのか自分でもさっぱりわからなかった。
何か思い出しかけた気がするのに今では頭に霧がかかったようになんの映像も浮かんで来ない。
「あれは…なんだったんだ…?」
そしてずっと見続けている夢はなんなのか。
どうして自分はここまで来たのか。
改めて考えてもなんの答えも出ず、リィンは怯えたようにざわめく人々の視線を追うようにしていまだに煙を上げ続ける工場地区をただ見つめた。
次回へ続く!
クロウの死に対する気持ちの整理が今に至るもどうしてもできず、
かといって他の皆さんがされたような死ななかった未来、IF妄想もうまいことできず、
結果来世に期待!という選択肢しか浮かばなかったクロウバカの書いた、
200年後の帝国を舞台にした捏造来世妄想ですが、それでもいいという方には読んでいただければ幸いです。
オリキャラは出してないですが、まだ出て来ていないジュライを舞台にしているのと、当然ながら軌跡シリーズ自体が途中な時点での200年後なので多分に捏造を含みますのでご注意を。
長くなると思います。ちょっとずつ書いていきます。
ではどうぞ・・・。
…一つだけ悔いがあるのです。
決して幸せでなかったわけではないだろうけれど。
それでも、欠けてしまったもののことがどうしても気になっていて。
だからわがままとわかっていても、もう一度機会を作らせてください。
どうか今度こそは――――
欠け代えの無い幸せを。
※
果てしなく広がる青色の空。
揺れるタクシーの窓枠に肘をついて、『彼』は静かにそれを見上げていた。
雲一つないせいか同じ色を延々と続ける空を見ていると前へ進んでいるという意識が希薄になる。
なんとなくそれにもどかしさを覚えて彼は視線を運転手へと移した。
それに気付いたわけでもあるまいが、運転手がバックミラー越しに笑みを浮かべた。
「しかし珍しいね、あんたみたいな若いのがジュライに行くなんて」
彼はその言葉に首を傾げた。
「あまり若い人は行かないような街なんですか?」
「いやぁそうじゃないよ。あぁ、まだ首都の辺りでしかニュースになってないのかな。
…今あそこはね、不穏なんだよ」
「不穏…?」
言葉の響きに思わず座席に寄りかけていた背筋をぴんと伸ばした。
運転手は眉をひそめた表情で頷いた。
「知ってるかな、あそこは200年前かそこらまで別の国だったんだ」
「はい、歴史の授業で習いました。…ジュライ、市国でしたっけ」
「そうそう。それがね、なんで今さらそんなことを言い出したのか、
そもそもは別の国だったのだからジュライの利益は全てジュライの民にのみ還元されるべきである、なんつってね。
ジュライ議会がジュライをエレボニアと同等の一国として扱うことを要求してきたんだよ」
「まさか…そんなこと」
彼は思わず眉を寄せた。
いくら帝国が解体されて以後各州が自治統治する部分が多くなったとはいえ、唐突な上に途方もない要求だ。
首都議会が受け入れるとは到底思えない。
「無茶だと思うけどねぇ。首都から説得が行ったらしいけど、噂じゃずいぶん酷い追い返し方をしたらしいよ」
「それは…不穏ですね」
「そうなんだよ。だからさ、内戦になるかも…なんて話もあってね。それもあって仕事でもなけりゃあジュライに行く人間は減ってるよ。列車も本数を減らしてる。その内止まっちまうかもな」
その言葉に彼は少し微笑んだ。
「なら間に合ってよかったです。どうしても行かなきゃならないから」
逆に運転手は彼の言葉に眉をひそめた。
「なんだい、家族でもいるのかい?」
「いえ……人探しなんですが」
彼は照れくさそうに頬をかいた。
「人探しか。恋人とかかい」
からかい混じりの運転手の言葉に彼は少し顔を赤くして慌てて首を振った。
「そういうのじゃなくて、その……なんていうか、馬鹿みたいな話なんですけど」
彼は困ったように笑って言い淀んだ。
運転手がバックミラー越しの視線で続けるよう促すと、彼はもう一度「馬鹿みたいな話なんですけど」と言い置いて続けた。
「どんな人なのか、実はよくわからないんです」
「わからない人をなんだって探すんだい」
呆れたような運転手の言葉に苦笑して、彼はまた濃い青の空を見上げた。
「夢を見るんです。もう小さい頃からずっと。その夢の中で俺は誰かを追いかけてるんですけど、どうしても顔は見えなくて、追いつくこともできなくて…」
夢の中で感じていたもどかしさを思い出して彼は無意識に膝の上の拳を握り締めた。
もう何年も見続けている夢なのに、意識して思い返そうとしなければただでさえ漠然とした夢はさらに霞がかって遠のいていく。
それだけ、その夢は儚い。
「ジュライって名前を聞いた時、そこだ、行かなきゃって何故か思ったんです。準備して家族を説得して、ようやく本当にここまで来れた。だから、間に合ってよかったです」
そう言って微笑むと、呆気にとられていた運転手はつられたように笑みを浮かべた。
「よくわからんが、無事会えるといいなぁ。…名前もわかんないのかい」
問われて彼は記憶をたぐろうと眉根を寄せた。
「思い…出せそうな気もするんです。夢の中の俺は名前を呼んでいるはずなのに…。でもジュライに近付くほど何か思い出せそうな感覚があって」
彼は窓に額を寄せて前方に見えてきた街並みを睨み付けるようにした。
「…あと、少しなのに」
「ありがとうございました」
料金を支払って車の扉を開く。
そこは街の玄関口に当たるターミナルのようだった。
彼が乗ってきたタクシーの他にもバスや車が何台も止まっている。
初めて見る街並みに目を奪われていると運転手は座席越しに振り返って彼を見た。
「探し人が無事見つかるよう祈ってるよ。ジュライにはちょくちょく来てるしここいらの出身だから助けになれるかもしれねぇ。何かあったらこのターミナルまで来てくれ。…あぁそういやにいちゃん、名前はなんてんだ?」
彼は振り返って微笑んだ。
「リィンといいます。もし何かあったら頼らせてもらいます。…ありがとうございました」
彼――リィンは感謝を込めて折り目正しく頭を下げた。
※
タクシーの運転手に別れを告げ、ターミナルから街中を走る大通りへと出たリィンはジュライの街並みを見渡して感嘆のため息をついた。
「すごいな…さすがにユミルとじゃ全然違う」
リィンの故郷は観光地ではあるものの、さして大きな町ではない。
港町であり、他国との貿易の玄関口でもあるジュライとは都市の規模は比べ物にならなかった。
(それに…潮の香りがする)
険しい山間にあるユミルとは空気の色合いも匂いも何もかもが違う。
自分が故郷から遠く離れた場所に来たことを実感してリィンは少し心細い気がした。
けれど立ち止まっているわけにもいかなかった。
何の当てもなくここまで来たから今晩の宿から探さなければならない。
幸いそれに関しては先ほどの運転手がいいホテルを教えてくれていた。
リィンはメモを頼りに大通りに沿って歩き出す。
(確かにちょっとぴりぴりはしてる気がするな。それに兵士の数が多い……いや、ユミルと比べちゃいけないのかな)
それぞれの自治州は国に認められた規模で州兵という自分達の軍を所有している。
ジュライとユミルでは所属する州が違う為兵士の制服が少し違う。
そのせいかなんだかあちこちに険しい顔をして立つ兵士の姿に違和感を感じる気がした。
とはいえ、街を行く人々からは内戦直前というほどの緊張感は感じない。
(エレボニアから独立して一つの国家として立つ…なんて、本気で考えてるのかな)
かつて帝国であった頃の厳然とした強さはないにしても、いまだに大陸屈指の大国である。
それを敵に回して戦うことにどんな利益があるのか、リィンにはわからなかった。
「………」
考えの及ばないことで悩んでいても仕方がない。
リィンは頭を一つ振って自分の目的を果たすことに気持ちを切り替えた。
「ここ…かな」
メモに描かれたホテル名と目の前に建つこじんまりとした、しかし小奇麗な建物にかかった看板を見比べる。
看板には『ウェストウィンズ』とくすんだ金色の文字で書かれていた。
「空いてるといいなぁ…」
硝子越しに見る限りロビーにあまり人はいないようだ。
眺めていても仕方ないのでリィンは意を決して扉をくぐった。
「いらっしゃいませ」
「すみません、今空いている部屋はありますか?」
問うなりフロントの若い男性は自嘲するような苦笑を浮かべた。
「空き放題泊りたい放題ですよ。ここしばらくの抗争のせいで観光客の方々はあらかた帰られてしまいましたしねぇ。
仕事でいらしてる方々もちょっとずつ引き上げているくらいです」
「こ、抗争?首都とですか?」
運転手に聞いていたより格段に物騒な単語が出て来てリィンは思わずたじろいだ。
誰かに愚痴を言いたかったらしく、フロントの男性はここぞとばかりに身を乗り出してきた。
「ご存じないんで?ここしばらくジュライは独立派と反対派の抗争が続いてるですよ。
互いの拠点に攻撃を仕掛けたりしてるせいで兵士がひっきりなしに走り回ってて物騒で仕方ない。
幸い今のところ民間人に怪我人は出てないようですが、それも子の調子じゃ…」
「それは…結構大事ですね…」
街中からは特別切迫した空気は感じなかったが、それでは観光客は逃げるだろう。
いかに客が減ってしまったかを語り続けようとする男性をなだめてリィンは当面の宿を取ることに成功した。
とりあえず一週間、それでだめならその時考えるつもりだった。
鍵を受け取ってエレベーターへ向かおうとしたリィンに受付の男性が声をかけた。
「もし途中でキャンセルされるようでもキャンセル料はいただいておりませんので、いつでもお申し付けください」
少し皮肉交じりの口調に苦笑しつつ礼を述べ、リィンは今度こそエレベーターへと向かった。
※
「さて…と」
荷物を部屋に置き、再びホテルの前の通りに立ったリィンは体を伸ばしてから左右を見まわした。
人通りも車通りもユミルから出たことのなかったリィンにしてみれば目が回るほど多い。
途方に暮れかけて、慌てて頭を振る。
(とりあえず地理を把握する意味でもぐるっと街を回ってみるか…)
決意を込めて背中の太刀を背負い直す。
あまり何かに熱中することのない性質だが、幼くして始めた剣術だけは身についた。
この太刀は師である老人からもらったもので、魔獣の出現も間遠なこのご時世抜くことはほぼないが、
こうして背負っていると身が引き締まり、気持ちが落ち着く気がした。
「それにしても…」
適当に、右手側に歩き始めてふと思う。
(前にもこんな風に知らない街を回ろうとしたことがあったような…?)
奇妙な既視感を覚えながら、リィンは当て所の無い探索を始めた。
「海と街がくっついてる…」
潮の香りに惹かれてリィンがまず辿り着いたのは港だった。
漁港ではなく貿易船が停泊する為の港で、今も大きな船が何隻か光る海面に威容を晒している。
山育ちのリィンにしてみると街がそのまま海に続く様は物珍しく、興味深かった。
見るともなしに忙しそうに立ち働く船乗りたちを遠巻きに見つめる。
…あの中に、あの人はいるだろうか。
「やはり…ずいぶん船が減っているな…」
「?」
物思いに沈んでいると、いつのまにか横に緑がかった黒髪の少年が立っていた。
リィンと同じ年頃だろうか、皺の無いシャツにきっちりジャケットを着込んだ服装と黒縁の眼鏡のせいか神経質そうな印象を受けた。
(あれ…どこかで…?)
知っているはずはないのだが、なぜかふと懐かしさを感じた。
覚えていないだけでどこかで会ったろうか、とついまじまじと見つめていると、少年はリィンの視線に気付いて慌てて咳ばらいをした。
「失礼」
気まずそうに軽く会釈をすると少年は足早に立ち去ってしまった。
リィンはしばらくその後ろ姿を不思議そうに見送っていたが、やはり記憶の中に彼の情報はなさそうだったので港へと視線を戻した。
(これ…船少ないのか)
ということはやはりフロントで言っていたように出入りする人間自体が減って来ているのだろう。
あの人も、ジュライを出てしまうだろうか。
「………」
夢で見た追いつけない背中を思い出し、妙な焦りを覚えてリィンは身を翻した。
立ち止まっている時間はなさそうだった。
※
改めてターミナルで手に入れたジュライ市街のパンフレットを開いてみる。
大きく分けて、先ほどリィンのいた港湾地区、ホテルや店舗の並ぶ商業地区、主に魚介類の加工工場のある工業地区、市民の暮らす居住地区、そして議事堂等のある行政地区がある。
首都ほどとはいかないが、エレボニア国内すべてを見ても五指に入る大都市である。
各州が保有する州兵の他にジュライ議会独自の警備隊も所有しており、さすがに独立などと無茶を言い出せるだけの地力はあるようだった。
リィンはしばしどこを目指すか悩んだが、ちらりと覗いた行政地区は兵士の数が尋常ではなく、下手に近付いても不審者扱いが関の山のような気がした。
(ホテルのある辺りはいつでも廻れるし…「これ」を持って今居住地区をうろうろするのもなぁ…)
一人苦笑しながら横目で太刀を見た。
不審者扱いされたくはないので、行政地区や居住地区といった余所者の出入りが少なさそうなところは避けた方が良さそうだった。
「となると工業地区かぁ…」
『彼』がどういう人物だかわからない以上工業地区に縁があるかどうかは判断のしようがないが、なんとなくあまり関係ないのではないか、という気がしてならない。
それでもどこに手がかりがあるかわからない現状では行く価値がないとも言い切れない。
「よし、とにかく行ってみるか」
パンフレットを閉じて歩き出す。
港湾地区と工業地区はその性質上隣合っている。
今いる場所からでも工場と思しき建物群を見て取ることができた。
それを目印にしばらく歩くと工業地区との境界線なのか、グレーのフェンスが見えた。
もしかして立ち入るには許可が必要なのだろうか、と足を止めた時だった。
「……!」
首筋にざわりと寒気が走った。
(なに…!?)
剣の修行で山に籠っていた時、獣に襲われる直前に感じた感覚、危機感。
その感覚がそれだ、と気付くと同時に爆音が鳴った。
「なっ…」
行く先、工場群の一角から焔と煙が巻き上がった。
重なるように、周囲から悲鳴や怒号が響き始めた。
「またか!反対派のやつらか!?」
誰かがあげた声でリィンも爆発が先ほどホテルで聞いた抗争によるものだと気付く。
港湾地区にほど近い場所だったのか、熱気が伝わってきさえする。
リィンは無意識に太刀を握り締めて焔のあがる方向を見つめた。
(どうする…?!土地勘のない俺が行っても…!)
周囲は混乱している。
兵士が次々と工場の方へ走って行くが、辺りで怯える市民には目もくれていないようだ。
(避難誘導だけでもやってみるか)
見れば子供を連れた女性などもちらほら見かける。
犯人たちがこちらに逃げてこないとも限らない。
港の方へ誘導すれば万が一の時守るくらいはできるかもしれない。
結論が出て、リィンが決意を行動に移そうとした時だった。
「えっ…」
リィンの立つ通りから一つ奥に入った細い路地、薄暗い裏通りを何かが駆け抜けて行った。
その人影に妙に目を惹きつけられて思わずその裏路地を凝視する。
「おいっ、どっちへいった!?」
「わからん、見失った、くそっ!」
するとフェンスから何人かの兵士が飛び出して来て悪態をついた。
追っていたのは…。
「っ……」
ほとんど衝動的にリィンは裏路地に沿って走り出した。
横目で裏路地を確認しながら人を避けて入っていると、いくつか建物を過ぎた時先ほどの人影が走りすぎていくのが一瞬見えた。
(見つけた!)
リィンは強く地面を蹴って裏路地に飛び込んだ。
「待て!」
鋭い声をあげると少し先で人影が足を止めた。
警戒するように半身で振り返ったその影はリィンとさして変わらない年頃の若い男に見えた。
周囲を建物に囲まれて路地は細く、薄暗い。
彼の顔は滲んだようにはっきりしなかった。
「動くな。動けば斬るぞ。……爆発のあった方から逃げてきたな。何か関係があるのか?」
彼からも見えるように太刀に手をかけ、にじるように徐々に距離を詰める。
すると男はリィンに比べるとよほど悠々とした態度で振り返り、笑みを浮かべた。
「へぇ、珍しいな、太刀か。物騒なもん持ってやがんなぁ」
その声音。
耳に届いた一瞬で心臓が跳ね上がった。
「………ぁ」
夢の光景が頭をよぎる。
追いつけない背中、届かない声。
それと同時に頭の中に白い光が満ちて、その奥にいくつかの光景が迸った。
『よ、後輩君』
『加勢するぜ、後輩ッ!』
『ったく、甘ったれめ。…わーった、そのうちにな』
『士官学院生……はただのフェイクだ』
『誰にも邪魔はさせねえ!オレとお前の最期の勝負を!』
『立ち止まんな!前を向いて、お前にしかできない事をやれ!』
『…ただひらすらに……ひたむきに……前へ…』
認識できないほど一気に様々な『知らない想い出』が去来する。
そしてその映像を頭が理解するより前に腕にずしりとした重さと徐々に薄れていく体温を感じてリィンは胸を締め上げるような切なさを覚えた。
(あ……)
思い出したいという切望と思い出したくないという拒絶が胸の奥でぶつかり合う。
それが収束して絞り出されるように口を突いて一つの名前が零れ出た。
「………クロウ」
そうだ。
そうだこの名前だ、ずっと夢の中で呼んでいたのは。
その名前を口にすると同時にようやく会えたというどうしようもない嬉しさが胸に溢れた。
唐突に名前を呼ばれた当のクロウは怪訝そうに眉を寄せた。
「なんでオレの名前を…」
言い差して、薄暗がりの中初めてまっすぐリィンと目を合わせた。
するとクロウの方も何か思い当たったように目を瞠った。
声が空気を震わせることはなかったが、間違いなくリィンの名の形に唇が動いた。
相手も自分を認識している、それで余計に嬉しくなってリィンは衝動的に駆け寄ろうと足を踏み出した。
が、それを抑えるようにクロウは逆に一歩下がった。
「オレに関わるな」
「え…」
突き放すように硬い声にリィンの足が止まる。
「ろくでもないことに巻き込まれたくなけりゃ、とっととジュライを出るんだな」
「クロ…」
問い返すより先にクロウが表通りに向かって走り出した。
「クロウ!」
慌てて追いかけたが表通りはいつの間にか工場地区から逃げてきたと思しき人々で溢れかえっていた。
どこを見回してもクロウの姿を見付けることはできず、リィンは深くため息をついた。
「どうして…」
彼の言葉と、そして自分の中に湧き上がった由来不明の感情に向けて呟く。
どうしてこんな気持ちになるのか自分でもさっぱりわからなかった。
何か思い出しかけた気がするのに今では頭に霧がかかったようになんの映像も浮かんで来ない。
「あれは…なんだったんだ…?」
そしてずっと見続けている夢はなんなのか。
どうして自分はここまで来たのか。
改めて考えてもなんの答えも出ず、リィンは怯えたようにざわめく人々の視線を追うようにしていまだに煙を上げ続ける工場地区をただ見つめた。
次回へ続く!
宮辺弘子は学校でも一、二を争うほど早く登校している。
それは事情があってのことだが、入学してほどなくからそうだったから、別段苦痛に感じたこともなかった。
そしてそう経たない内に、同じくらい早くに登校している生徒がいることに気付いた。
それが同じ学年の男子で、藤堂立基という名前だと知るよりも、彼を意識し始める方が早かった。
どちらが先に来ているか、密かに下駄箱を確かめるのは何か秘密の行いに似ていてどきどきした。
他に大した趣味もない弘子にとって、それは毎日を楽しくさせるに足る刺激だった…。
「んー…なにこれ、落ちないわね…」
朝、日直であった弘子は当番の仕事である教室の掃き掃除のついでに目についた床の汚れを雑巾で拭いていた。
自分の席のすぐ横に小さな黒ずみがあるのだが、しっかりこびりついてしまっているのか、いくらこすっても取れない。
「はぁ、とりあえず諦め…」
「おい、邪魔だ」
「きゃ!?」
いきなり後ろから尻を蹴飛ばされて弘子はつんのめってそのまま床に転がった。
その拍子にスカートがめくれて、慌てて裾を引っ張って露わになったふとももを隠す。
「ちょっと、何するのよ白岩くん!」
「俺が席につけない」
悠然と弘子を見下ろしながら弘子の席のすぐ隣の机を指したこの男子生徒は白岩黒也。
彼女のクラスメートであり、この学年になってからずっと隣の席にいる。
短く刈った髪は鮮やかな金色で、耳にはピアスもついている。
この学校にこういう生徒は多くもないが珍しいほどではない。
黒也はその見た目と淡々とした喋り口調から敬遠されてはいるものの、問題になるほど不良でもないという中途半端な生徒だった。
ため息をつく弘子を横目に黒也はすたすたと歩いて自分の席についてしまった。
「文句言うくらいなら手伝って。あなただって日直なのよ」
席順に周ってくる日直は当然隣同士である弘子と黒也が一緒に当番を務めることになる。
本来なら掃除も一緒にするべきなのだ。
「めんどい…」
呟くように言って黒也は机に突っ伏してしまった。
「寝るくらいなら手伝ってくれてもいいのに…」
弘子は半ば諦めながら嘆息して雑巾をベランダの物干しにかけた。
席について突っ伏して目を閉じているクラスメートを見る。
「夜更かしでもしてるの?言っても高校生が夜更かししてすることなんてそう無いと思うんだけど」
「夜?寝てるぞ」
目を開けて黒也が答える。
「じゃあなんで今寝てるのよ!」
「朝昼夜寝たっていいだろ」
「じゃあいつ起きてるのよ!」
「今でしょう!」
思わず正拳突きが出た。
黒也は眉根を寄せて弘子に殴られた鼻をさすっているが、反撃してくることはない。
けれど後ろを向いていると、先程のように尻を蹴られることが度々あった。
好かれてはいないだろうことを、弘子は知っていた。
何故なら初対面、クラスが一緒になり隣同士になった時、彼の姿を見て弘子は言ったからだ。
『髪、そんなにしてると禿げるんじゃない?』
彼の顔が引きつったのはあの時くらいしか見ていない。
別に悪意があったわけではないのだ。
思ったことを、そのまま口に出した。
弘子はどうしてもそういうところがあった。
今に始まったことではないから、それで誰に好かれても嫌われても、今更沈んだり上がったりするようなことではなかった。
また諦めて、弘子はノートを開いた。
いつも早く登校してきて時間があるから、その日の授業の予習をしているのだが、今日は日直だったのでその時間が取れなかったのだ。
かといってしないでは気持ちが悪い。
ノートに目を落とし集中し始めたので、シャーペンを握って頬杖をついた弘子を机に突っ伏したまま黒也が見ていたことに彼女が気付くことはなかった。
この学校のレベルは県内では上の下くらいだろうか。
授業の進度は進学塾より少し遅いくらいだから、少し気を抜くとテストでとんでもないことになる。
弘子は予習復習を欠かさない真面目な生徒だったが、かといって成績がいいわけではなかった。
どれだけ頑張っても真ん中より少し上、くらいが関の山なのだ。
要領が悪いのだ。
理解できていないわけではないのだと思う。
胸を小さく焦燥感が焦がす。
仕方ないのだ。
自分はこういう人間なのだから。
それは諦めている。
でも、努力することを諦めることは、何故かできなかった。
小さく、誰にも聞こえない程度にため息をついた時だった。
隣の席から手が伸びてきた。
『ねむくね?』
広げてあった弘子のノートに黒也の字が書き足される。
人のノートに何をするのだ、と弘子はその文字の横にシャーペンを走らせた。
『朝だって寝てたでしょ。私は眠くない』
『でもこうも天気いいとな。思わず羊を数えたくなる』
『寝る気満々じゃない!』
『戦ったけどだめだった』
『ノート真っ白じゃない!戦った形跡どこにもないわよ!』
「…べ、宮辺!」
「はい!?」
黒也とのやり取りに気を取られていて教師に指名されていたのに気付かなかった。
慌てて立ち上がると教室内からいくつか忍び笑いが漏れた。
「ぼーっとしてるんじゃない。この問題」
「は、はい」
幸い解けない問題ではない。
気恥ずかしい思いをこらえて解答し、席につく。
その後黒也を睨みつけたことは、責められる筋合いはないと弘子は思った。
弘子の朝は早い。
起きて前の晩の夕食を弁当箱に詰める。
それを小振りの弁当箱二つ分作ってから、エプロンを外しながら奥の和室へ駆けていく。
「お母さん!そろそろ起きてよ、朝ご飯食べる時間なくなるわよ」
襖を勢いよくあけるとその真ん中に敷かれた布団からもぞもぞと女性が起き上がった。
「朝ご飯できてるから。早く顔洗ってきて」
「んー…」
弘子の母親である女性は目をこすって這いずるように部屋を出てきた。
夜遅くに帰ってくるせいもあるが、基本的に寝起きが悪いのだ。
「あー…私あんた産んでよかったわー」
「もう、少しはしっかりしてよ」
半分寝ぼけた顔で食卓に並べられた朝食をもそもそと口に運びながら母親が呟く。
その彼女の前に弁当箱も置いてやる。
「仕事忙しいのはわかるけど、しっかりしないと母親だってこと忘れちゃうから」
腰に手をあてて叱るとふ、と母親が遠い目をした。
「そうよね…。こんなんじゃ、あの人にも草葉の陰から笑われちゃうわね…」
つられるように遠い目をした弘子は我に返って頭を振った。
「お父さんは生きてるでしょ!もうずっと早くに仕事行ったわよ!お母さんも早く準備してね、私もう行くから」
「あ、弘子」
「何!」
鞄に弁当箱を詰め込んで肩にかけてから母親を振り返る。
「今日の晩御飯ハンバーグがいい」
「もう!!」
弘子は足音高く玄関に向かって行き、靴を履きながらため息をつく。
「なら、早く帰ってきてよね!」
「はーい、いってらっさーい」
あくまで軽い声が聞こえてきて、弘子は苦笑しながら家を飛び出した。
学校に着いてまず一番にすることは藤堂の下駄箱を覗くことだ。
今日はまだ来ていないようだ。
かといって待っているというわけでもない。
見かけることができれば幸せだし、それ以上は望むべくもない、と弘子は思っていた。
弘子は正直人によく好かれるというタイプではない。
思ったことをそのまま口に出してしまうし、元来険の強いタイプだから口うるさくなりがちで、素直でもかわいげがあるわけでもない。
だからきっと近づいたところでどうしようもない。
また一つ諦めて、弘子は教室へ向かった。
「宮辺ー」
帰りの準備をしていた弘子は気だるげな声をかけられて振り返った。
するとファイルの山を持った黒也がいつもの面倒そうな顔に少しだけ困った色を混ぜて佇んでいた。
「これ、松沢先生に資料室に戻せって言われた。資料室どこ」
資料室は基本的に教師しか使わない、その名の通り資料しかない部屋だ。
だから生徒の中にはその存在さえ知らない人間もいる。
教師の手伝いをよくする生徒や、頼みを断れないような生徒だけが知っているのだ。
「あぁ…三階の…って説明するのが面倒ね。私が持っていくわよ」
すると黒也は首を横に振って一歩下がった。
「重い」
「だから私が持っていくっつってんでしょ!」
「から俺が持つ」
「いくら面倒だからって省略しすぎよ!」
ため息をついて仕方なく鞄を机に戻して歩き出す。
すると鳥の雛のように黒也が後ろをついて歩き出した。
黒也は基本的に何を考えているのか不明だ。
面倒くさがりなのは間違いないが、かといってたまにこうして教師の手伝いをしているのを見かけるし、見た目の割に授業をサボることもない。
弘子に対してもどう考えても好かれているとは思えない態度なのだが、かといって無視するでもなく、こうして一日一回は声をかけてくる。
「あんたって何考えてるのかわかんないわ」
「今日の晩飯」
「食いしん坊か!」
もうさっさと用事を済ませるに限る。
弘子は歩調を上げて歩き出し、そしてさほど進まない内にぴたりと足を止めた。
(あの、人)
もや、と黒いものが胸の内に湧き上がる。
弘子の視線の先にいたのは、この学校の現生徒会の会計だった。
才色兼備と名高い女子生徒で、見た目も良ければ内面にも優れた才媛で男女共に人気があると聞く。
父親も会社の重役だったか何かでその仕事を手伝っているとかいないとか、噂だが。
弘子の父親はいわゆる土方だ。
昔からの技術を受け継ぐ棟梁で、無口で優しい父を誇りに思っているが、職業柄稼ぎはさほど良くない。
何か一つうまくいかなければ母親の方が稼ぎがいいこともあるくらいだ。
母親は会社でも信頼の厚いキャリアウーマンだ。
母親として問題がなくもないが、誇りを持って仕事をしている母は輝いていると思う。
けれどそのどちらの仕事も弘子は手伝うことはできない。
せいぜい晩御飯を作って待っているくらいだ。
つまり、自分とは反対の人間だ、と思って弘子は皮肉に口を歪めた。
自分の悪いところはわかっている。
彼女の何が優れているかもわかっている。
ただその差を埋める術だけが理不尽なほどわからない。
(私がああいう子だったら、きっと臆せずに藤堂くんにも…)
「おい」
後ろからファイルで背中をつつかれて我に返る。
「トイレか?」
「んなわけあるかぁ!」
デリカシーが怒って殴りかかってくるような発言に脱力する。
そうしている間に彼女はどこかへ行ってしまった。
(意味のない、物思いだわ)
弘子は首を振って考えを振り切った。
「ごめん、行きましょ」
また歩き出した弘子の背中を黒也はいつも通りの表情でじっと見ていた。
毎日は平凡に過ぎる。
今日も弘子は母親に弁当を手渡して送り出し(父親はいつももっと早くに出るのだ)、自身もいつも通りの時間にいつも通りの道を辿って学校に向かい、そしていつも通り藤堂の下駄箱を覗きこむ。
靴があるか、上履きがあるか。
それを確認するだけの、ただの日課。
けれどその日は少し、光景が違った。
藤堂の下駄箱の中にひっそりと、可愛らしい桃色の包みが置かれていた。
「な、なにこれ…」
普通に考えて、彼への贈り物だろう。
ざわ、と少しだけ弘子の心に黒い霧が湧き上がる。
考えるまでもなく女子からだろう。
男子からこの包みはちょっと薄気味悪い。
誰かが彼に好意を寄せているのだ。
「……っ」
誰かが彼に近づこうとしている。
それが誰なのか、弘子は確かめたいという衝動を抑えることができなかった。
こんな早朝、昇降口には誰もいない。
弘子は恐る恐る周囲を見渡して誰もいないことを確認した。
誰も、いない。止めてくれる者は誰も。
弘子はほとんど衝動に突き動かされるままに包みを手に取って、できるだけ元に戻しやすいようそっと包みを開いた。
中にはクッキーが入っていた。
それと一緒に可愛らしい手紙も。
弘子は手紙を抜き取って、クッキーを一度下駄箱に戻して封筒を開けた。
元々包みの中にいれる予定だったからか、封筒は封留めされていなかったから、あっさり開くことができた。
文章の内容をざっと読み飛ばし、最後の名前を確認する。
その瞬間、脳の血が一気に足先まで下がってきん、と冷たくなるような気がした。
東 千里
読み仮名が添えてあったが、そんなことはどうでもいい。
あいつだ。
生徒会 会計、誰にでも好かれる才媛。
「な、んで…」
どうしてよりによって彼女なのだ。
なぜよりによって彼を。
ずっと彼女を知ってから秘かに劣等感を抱き続けてきた。
自分とは正反対の彼女。
どれだけ努力してもほどほどの自分と、誰にでも好かれる彼女。
どうせ、彼にもすぐに好かれるのだろう?
そう思った瞬間、真っ黒な手に心が鷲掴みにされた。
先程とは逆に一気に頭が熱くなって、弘子は反射的にクッキーを手に取って床に向けて投げつけていた。
「なんで…なんであんたなのよぉっ!」
泣きたい気持ちが真っ黒な靄にかき乱されて、まるで怒りのようになる。
可愛らしい気遣いに満ちた贈り物、素直な想い、真っ直ぐに思いを伝えられる強さ。
どれもがない。
自分には、どれもが欠けている。
心を強烈な妬みが支配する。
それを吐き捨てたいほど醜いと思うのに、抑えることはできなかった。
「…はぁっ、…うっ…」
粉々になったクッキーを見ても溜飲は下がらない。
弘子は手の中でくしゃくしゃになった便箋に気付いた。
そうしてあることを思い立つ。
クッキーは拾い上げて封筒だけ戻して元のように包んでおいた。
粉々になったクッキーなんかが入っていれば、うまくすれば嫌がらせだと思うかもしれない。
そうして自分は靴を履きかえて足早にとある教室に向かった。
考えるよりも先に、ただただ黒い衝動が彼女を動かしていた。
彼女の席は知っている。
そんなことはないと言い聞かせても、恐らく藤堂以上に意識していたのだ。
自分が羨むものすべてを持っている彼女を。
きれいでかわいいまっすぐなおんなのこ。
知らないのでしょう。
こんなに、
こんなにも黒い気持ちが心の中にあることを。
これだけ醜くなれる女がいることを。
貴女は、知らないのでしょう――――!
弘子は可愛らしい便箋を、執拗に細かく破り裂いて彼女の机に散らばした。
これだけ黒い心があることを、これだけの醜さがあることを思い知らせるように。
「ふっ…あははっ…あはははははっ…」
無残に千切られた紙片が舞い散るのを見て弘子は引きつった笑いを浮かべた。
笑いながら、自分が今どれだけ醜い顔をしているか思って涙が溢れた。
自分はこれだけ、どうしようもなく、汚い。
笑声とが逆に嗚咽はまるで、声にならなかった。
弘子はその日以来前にも増して喋らなくなった。
両親には心配そうにされたが、こんなことを説明するわけにもいかない。
黒也も、何か言いたげな目線を向けてきているのを感じた。
(誰にも、言えるわけないじゃない…)
元より特段友達はいないし、黒也にも好かれているわけではないだろうが、この上軽蔑されるのは嫌だった。
両親であれば尚の事だ。
そもそも自分だって、自分があそこまでどうしようもなかったのだということが信じられなかった。
最早彼を取られそうなことにショックを受けているのか、自分の醜さに落ち込んでいるのかわからない。
自分を嫌いだというのはほかの誰を嫌うよりも辛いのだ、と初めて知った。
他人ならば逃げようがある。
けれど自分からは、どれだけ憎んでも忌んでも逃げることはできない。
どうしたらいいのかわからないまま、日々が過ぎた…。
あの日の後も弘子は今まで通りの時間に登校していた。
自分がどれだけ醜かろうと両親の為にやることは変わらないし、身に染みついた習慣というものはそう簡単に変えられない。
そして藤堂の下駄箱を見てしまうことも。
前よりしっかり見ることはなかったが、視線を向けることはやめられなかった。
だからその日も見てしまった。
同じような桃色の包みが下駄箱に入っているのを。
「…っ、また…!どこまで図々しいの…!」
ほとんど反射的にその包みをひっ掴んだ。
一瞬で心がまた真っ黒に染め上げられるのを感じながら弘子はまた包みを床に叩き付けた。
小気味いい音がしてクッキーが砕ける気配を感じても弘子の心を覆った靄は晴れない。
嫌われても、関係ないというのだろうか。
どんどんどんどん、自分だけが惨めになっていく…。
ふと、人の気配を感じて弘子は顔を上げて振り返った。
そこにいつの間にか立っていた人影を見て、弘子は体が芯まで一気に冷えたような気持ちになった。
血の気が下がってくらくらする。
「と、とうどう、くん」
「…遠慮なく、続けてくれていいぜ?」
凄みのある笑みを浮かべて藤堂が数歩歩み寄ってきた。
視線は弘子の足元でぐちゃぐちゃになっている包みを見ていた。
「どうせ、俺が作ったもんだしな」
「!!」
藤堂の睨みつけるような、蔑むような目が意味するところを悟った。
全て、知っているのだ。
本能的にそう察した。
「ぁ…」
何か言わなければと思うのに声が出ない。
今更何を言えるのかもわからなかった。
ずっと見ていたのだ、だから先を越されそうで怖かったのだ。
そんな説明が何にもならないことを、誰よりも弘子が知っていた。
何も言わない弘子のすぐ近くまで藤堂が歩み寄ってきた。
口の端は上がっているけれど、笑顔という言葉とは程遠い。
「ぁ…わ、わた、し」
何を言おうとしたのかもわからないまま口を開いた瞬間、藤堂の手が弘子の襟首を掴んだ。
そのまま下駄箱に背を叩き付けられた。
「言い訳があるなら、聞いてやるぜ?話聞かせてもらおうか」
「っ…!」
竦んだように口をぱくぱくさせるだけで何も言えない弘子に飽きたのか藤堂の手が乱暴に彼女を突き放した。
「二度とあいつに関わってみろ。今度は警告だけじゃすまさねぇぞ」(なんかよくわかんなくなってきた)
それだけ吐き捨てるように言うと藤堂は校舎の奥へと消えていってしまった。
知られてしまった。
それだけが弘子の頭の中を支配して、脱力感が襲ってきた。
多くは望まなかったのに、こんな風に終わってしまうなんて。
それが自分のせいであることがわかっていたから、どんな感情のやり場もどこにもなかった。
弘子は下駄箱にもたれるようにしてずるずるとその場に崩れ落ちた。
膝を抱え込んで顔を埋める。
他の生徒が登校してくるまでにはもう少し時間がある。
今はもう、動く気がしなかった。
涙が溢れることもなかった。
ただ頭の中も心も乾いたように何もなかった。
「……」
ゆっくりと誰かが近づいてくる気配がした。
顔は伏せたままだったけれど、弘子にはそれが誰だかわかった。
気怠そうな足取りとかすかな足音。
後ろからしょっちゅう蹴られるから、この足音には注意するようになっていたのだ。
「…笑いにでも来たの」
自分でも驚くほどささくれだった声が出た。
足音はすぐ隣で止まり、そのまま隣に腰を下ろす気配がした。
「お前さ、真っ直ぐすぎんだよな」
すぐ横で声が聞こえてようやく弘子は少しだけ顔を上げて横目で黒也を見た。
「好きとか、努力するとか、嫌いとか、全部真っ直ぐにそのまんま思った通りに全力で出すだろ。の割に不器用でいっつも空回りしてんし」
「…うるっさいわね…」
「でもよー」
また顔を伏せた弘子の声を遮るように黒也が少し大きな声を出した。
誰もいない昇降口に声変わりの済んだ低音が鈍く響いた。
「俺、お前のそういう真っ直ぐさ、好きだぞ」
「…………え?」
思わず顔を上げた。
真っ直ぐに黒也を見てしまったから、しっかり目があった。
いつも通りのだるそうな目が真っ直ぐに弘子の目を捉えていた。
何か思いもよらない言葉を聞いた気がする。
聞き返していいものか迷っている内に黒也はするりと立ち上がってズボンをはたいた。
「お前さ、今日夕方時間ある」
「え?」
バカみたいに同じ文字しか発していない弘子を無感情な目で黒也が見下ろしている。
「夕方、ちょっと付き合え」
「ど、どこに?」
「いーから。決まりな。拒否権ねぇから」
ぽんぽんと言い放って黒也も藤堂と同じ方向に消えていった。
弘子は何がどうなったのかよくわからないまま、しばらくきょとんとその方向を見つめ続けていた。
最後の授業が終わると黒也は弘子をほとんど引っ張るようにして学校から連れ出した。
どこに行くんだ、という弘子の問いには答えてもらえないまま電車に乗らされる。
乗った電車からはどんどん人が少なくなっていく。
「ねぇ、どこまで行くのよ…」
「もうちょっとだけ先だ」
「田舎で道聞いてんじゃないのよ?!」
もう車両には二人しか乗っていない。
並んで座った座席に夕日が薄い赤を投げかけてきている。
ずり落ちるほど浅く座って遠くを見つめている黒也を横目で見て、弘子はもう諦めることにした。
ようやく黒也が下りることを促したのは本当に周囲に畑しか広がっていないような駅だった。
降りて少し歩くとロープウェイのある小さな山があった。
「乗る」
「もう勝手にしてよ…」
やる気のなさそうな受付の男性から切符を買い、誰もいない改札を抜けて誰も乗っていないロープウェイに乗り込む。
それはそうだ。観光地でもなんでもないこの山になぜこんなものを設置したのかわからない。
5分ほどかけてロープウェイは頂上まで辿り着いた。
良いのか悪いのか、頂上にも誰もいなかった。
「こっち」
黒也が指さす方向へついていく。
そこは何もない麓の街並みに向けて視界が開けていた。
「わぁ…」
その地平線に向けて大きな夕日が沈んでいこうとしていた。
「すげぇだろ」
「うん…」
とろけるようなオレンジ色が大地に身を沈めていく。
間違いなく、心が動かされる景色だった。
「これ見てるとな、自分の悩みなんてちっぽけなものな気がしてくる。こんなでっかいもんが出たり入ったりしてる景色の中で自分の何がいいとか悪いとか、んなことどうでもいいって」
「妙な言い方しないでよ!」
言い返しながらも、弘子は黒也の言ったことを噛み締めた。
「誰にだって良いとこがありゃ悪いとこも醜いとこもある。どっちかしかねぇ人間はいねぇよ。そんなの気持ちわりぃ。そんで俺たちガキの良さとか悪さなんか、あの夕日に比べりゃ世界にとってどうでもいいちいせぇことだよ」
「うん…」
ようやく、弘子の瞳から涙が溢れた。
悲しいのではなかった。
嬉しいのとも何か違う気がしたけれど、とにかく暖かい気がした。
「…だから、気にすんな。お前の真っ直ぐさは、悪いとこでもあるかもしれねぇけど、俺は好きだ」
「うん……」
半分嗚咽のような声で答える。
目を拭って鼻をすすりあげる。
黒也はただ横に立って、一緒に夕日を眺めていてくれた。
「白岩くん」
随分時間がたって、夕日も半分以上が地平線に姿を隠した頃、ようやく弘子は声を出せた。
「ん」
短く、黒也が答える。
「…ありがと」
「おう」
それだけ言った。
今は、それだけで十分だという気がした。
それは事情があってのことだが、入学してほどなくからそうだったから、別段苦痛に感じたこともなかった。
そしてそう経たない内に、同じくらい早くに登校している生徒がいることに気付いた。
それが同じ学年の男子で、藤堂立基という名前だと知るよりも、彼を意識し始める方が早かった。
どちらが先に来ているか、密かに下駄箱を確かめるのは何か秘密の行いに似ていてどきどきした。
他に大した趣味もない弘子にとって、それは毎日を楽しくさせるに足る刺激だった…。
「んー…なにこれ、落ちないわね…」
朝、日直であった弘子は当番の仕事である教室の掃き掃除のついでに目についた床の汚れを雑巾で拭いていた。
自分の席のすぐ横に小さな黒ずみがあるのだが、しっかりこびりついてしまっているのか、いくらこすっても取れない。
「はぁ、とりあえず諦め…」
「おい、邪魔だ」
「きゃ!?」
いきなり後ろから尻を蹴飛ばされて弘子はつんのめってそのまま床に転がった。
その拍子にスカートがめくれて、慌てて裾を引っ張って露わになったふとももを隠す。
「ちょっと、何するのよ白岩くん!」
「俺が席につけない」
悠然と弘子を見下ろしながら弘子の席のすぐ隣の机を指したこの男子生徒は白岩黒也。
彼女のクラスメートであり、この学年になってからずっと隣の席にいる。
短く刈った髪は鮮やかな金色で、耳にはピアスもついている。
この学校にこういう生徒は多くもないが珍しいほどではない。
黒也はその見た目と淡々とした喋り口調から敬遠されてはいるものの、問題になるほど不良でもないという中途半端な生徒だった。
ため息をつく弘子を横目に黒也はすたすたと歩いて自分の席についてしまった。
「文句言うくらいなら手伝って。あなただって日直なのよ」
席順に周ってくる日直は当然隣同士である弘子と黒也が一緒に当番を務めることになる。
本来なら掃除も一緒にするべきなのだ。
「めんどい…」
呟くように言って黒也は机に突っ伏してしまった。
「寝るくらいなら手伝ってくれてもいいのに…」
弘子は半ば諦めながら嘆息して雑巾をベランダの物干しにかけた。
席について突っ伏して目を閉じているクラスメートを見る。
「夜更かしでもしてるの?言っても高校生が夜更かししてすることなんてそう無いと思うんだけど」
「夜?寝てるぞ」
目を開けて黒也が答える。
「じゃあなんで今寝てるのよ!」
「朝昼夜寝たっていいだろ」
「じゃあいつ起きてるのよ!」
「今でしょう!」
思わず正拳突きが出た。
黒也は眉根を寄せて弘子に殴られた鼻をさすっているが、反撃してくることはない。
けれど後ろを向いていると、先程のように尻を蹴られることが度々あった。
好かれてはいないだろうことを、弘子は知っていた。
何故なら初対面、クラスが一緒になり隣同士になった時、彼の姿を見て弘子は言ったからだ。
『髪、そんなにしてると禿げるんじゃない?』
彼の顔が引きつったのはあの時くらいしか見ていない。
別に悪意があったわけではないのだ。
思ったことを、そのまま口に出した。
弘子はどうしてもそういうところがあった。
今に始まったことではないから、それで誰に好かれても嫌われても、今更沈んだり上がったりするようなことではなかった。
また諦めて、弘子はノートを開いた。
いつも早く登校してきて時間があるから、その日の授業の予習をしているのだが、今日は日直だったのでその時間が取れなかったのだ。
かといってしないでは気持ちが悪い。
ノートに目を落とし集中し始めたので、シャーペンを握って頬杖をついた弘子を机に突っ伏したまま黒也が見ていたことに彼女が気付くことはなかった。
この学校のレベルは県内では上の下くらいだろうか。
授業の進度は進学塾より少し遅いくらいだから、少し気を抜くとテストでとんでもないことになる。
弘子は予習復習を欠かさない真面目な生徒だったが、かといって成績がいいわけではなかった。
どれだけ頑張っても真ん中より少し上、くらいが関の山なのだ。
要領が悪いのだ。
理解できていないわけではないのだと思う。
胸を小さく焦燥感が焦がす。
仕方ないのだ。
自分はこういう人間なのだから。
それは諦めている。
でも、努力することを諦めることは、何故かできなかった。
小さく、誰にも聞こえない程度にため息をついた時だった。
隣の席から手が伸びてきた。
『ねむくね?』
広げてあった弘子のノートに黒也の字が書き足される。
人のノートに何をするのだ、と弘子はその文字の横にシャーペンを走らせた。
『朝だって寝てたでしょ。私は眠くない』
『でもこうも天気いいとな。思わず羊を数えたくなる』
『寝る気満々じゃない!』
『戦ったけどだめだった』
『ノート真っ白じゃない!戦った形跡どこにもないわよ!』
「…べ、宮辺!」
「はい!?」
黒也とのやり取りに気を取られていて教師に指名されていたのに気付かなかった。
慌てて立ち上がると教室内からいくつか忍び笑いが漏れた。
「ぼーっとしてるんじゃない。この問題」
「は、はい」
幸い解けない問題ではない。
気恥ずかしい思いをこらえて解答し、席につく。
その後黒也を睨みつけたことは、責められる筋合いはないと弘子は思った。
弘子の朝は早い。
起きて前の晩の夕食を弁当箱に詰める。
それを小振りの弁当箱二つ分作ってから、エプロンを外しながら奥の和室へ駆けていく。
「お母さん!そろそろ起きてよ、朝ご飯食べる時間なくなるわよ」
襖を勢いよくあけるとその真ん中に敷かれた布団からもぞもぞと女性が起き上がった。
「朝ご飯できてるから。早く顔洗ってきて」
「んー…」
弘子の母親である女性は目をこすって這いずるように部屋を出てきた。
夜遅くに帰ってくるせいもあるが、基本的に寝起きが悪いのだ。
「あー…私あんた産んでよかったわー」
「もう、少しはしっかりしてよ」
半分寝ぼけた顔で食卓に並べられた朝食をもそもそと口に運びながら母親が呟く。
その彼女の前に弁当箱も置いてやる。
「仕事忙しいのはわかるけど、しっかりしないと母親だってこと忘れちゃうから」
腰に手をあてて叱るとふ、と母親が遠い目をした。
「そうよね…。こんなんじゃ、あの人にも草葉の陰から笑われちゃうわね…」
つられるように遠い目をした弘子は我に返って頭を振った。
「お父さんは生きてるでしょ!もうずっと早くに仕事行ったわよ!お母さんも早く準備してね、私もう行くから」
「あ、弘子」
「何!」
鞄に弁当箱を詰め込んで肩にかけてから母親を振り返る。
「今日の晩御飯ハンバーグがいい」
「もう!!」
弘子は足音高く玄関に向かって行き、靴を履きながらため息をつく。
「なら、早く帰ってきてよね!」
「はーい、いってらっさーい」
あくまで軽い声が聞こえてきて、弘子は苦笑しながら家を飛び出した。
学校に着いてまず一番にすることは藤堂の下駄箱を覗くことだ。
今日はまだ来ていないようだ。
かといって待っているというわけでもない。
見かけることができれば幸せだし、それ以上は望むべくもない、と弘子は思っていた。
弘子は正直人によく好かれるというタイプではない。
思ったことをそのまま口に出してしまうし、元来険の強いタイプだから口うるさくなりがちで、素直でもかわいげがあるわけでもない。
だからきっと近づいたところでどうしようもない。
また一つ諦めて、弘子は教室へ向かった。
「宮辺ー」
帰りの準備をしていた弘子は気だるげな声をかけられて振り返った。
するとファイルの山を持った黒也がいつもの面倒そうな顔に少しだけ困った色を混ぜて佇んでいた。
「これ、松沢先生に資料室に戻せって言われた。資料室どこ」
資料室は基本的に教師しか使わない、その名の通り資料しかない部屋だ。
だから生徒の中にはその存在さえ知らない人間もいる。
教師の手伝いをよくする生徒や、頼みを断れないような生徒だけが知っているのだ。
「あぁ…三階の…って説明するのが面倒ね。私が持っていくわよ」
すると黒也は首を横に振って一歩下がった。
「重い」
「だから私が持っていくっつってんでしょ!」
「から俺が持つ」
「いくら面倒だからって省略しすぎよ!」
ため息をついて仕方なく鞄を机に戻して歩き出す。
すると鳥の雛のように黒也が後ろをついて歩き出した。
黒也は基本的に何を考えているのか不明だ。
面倒くさがりなのは間違いないが、かといってたまにこうして教師の手伝いをしているのを見かけるし、見た目の割に授業をサボることもない。
弘子に対してもどう考えても好かれているとは思えない態度なのだが、かといって無視するでもなく、こうして一日一回は声をかけてくる。
「あんたって何考えてるのかわかんないわ」
「今日の晩飯」
「食いしん坊か!」
もうさっさと用事を済ませるに限る。
弘子は歩調を上げて歩き出し、そしてさほど進まない内にぴたりと足を止めた。
(あの、人)
もや、と黒いものが胸の内に湧き上がる。
弘子の視線の先にいたのは、この学校の現生徒会の会計だった。
才色兼備と名高い女子生徒で、見た目も良ければ内面にも優れた才媛で男女共に人気があると聞く。
父親も会社の重役だったか何かでその仕事を手伝っているとかいないとか、噂だが。
弘子の父親はいわゆる土方だ。
昔からの技術を受け継ぐ棟梁で、無口で優しい父を誇りに思っているが、職業柄稼ぎはさほど良くない。
何か一つうまくいかなければ母親の方が稼ぎがいいこともあるくらいだ。
母親は会社でも信頼の厚いキャリアウーマンだ。
母親として問題がなくもないが、誇りを持って仕事をしている母は輝いていると思う。
けれどそのどちらの仕事も弘子は手伝うことはできない。
せいぜい晩御飯を作って待っているくらいだ。
つまり、自分とは反対の人間だ、と思って弘子は皮肉に口を歪めた。
自分の悪いところはわかっている。
彼女の何が優れているかもわかっている。
ただその差を埋める術だけが理不尽なほどわからない。
(私がああいう子だったら、きっと臆せずに藤堂くんにも…)
「おい」
後ろからファイルで背中をつつかれて我に返る。
「トイレか?」
「んなわけあるかぁ!」
デリカシーが怒って殴りかかってくるような発言に脱力する。
そうしている間に彼女はどこかへ行ってしまった。
(意味のない、物思いだわ)
弘子は首を振って考えを振り切った。
「ごめん、行きましょ」
また歩き出した弘子の背中を黒也はいつも通りの表情でじっと見ていた。
毎日は平凡に過ぎる。
今日も弘子は母親に弁当を手渡して送り出し(父親はいつももっと早くに出るのだ)、自身もいつも通りの時間にいつも通りの道を辿って学校に向かい、そしていつも通り藤堂の下駄箱を覗きこむ。
靴があるか、上履きがあるか。
それを確認するだけの、ただの日課。
けれどその日は少し、光景が違った。
藤堂の下駄箱の中にひっそりと、可愛らしい桃色の包みが置かれていた。
「な、なにこれ…」
普通に考えて、彼への贈り物だろう。
ざわ、と少しだけ弘子の心に黒い霧が湧き上がる。
考えるまでもなく女子からだろう。
男子からこの包みはちょっと薄気味悪い。
誰かが彼に好意を寄せているのだ。
「……っ」
誰かが彼に近づこうとしている。
それが誰なのか、弘子は確かめたいという衝動を抑えることができなかった。
こんな早朝、昇降口には誰もいない。
弘子は恐る恐る周囲を見渡して誰もいないことを確認した。
誰も、いない。止めてくれる者は誰も。
弘子はほとんど衝動に突き動かされるままに包みを手に取って、できるだけ元に戻しやすいようそっと包みを開いた。
中にはクッキーが入っていた。
それと一緒に可愛らしい手紙も。
弘子は手紙を抜き取って、クッキーを一度下駄箱に戻して封筒を開けた。
元々包みの中にいれる予定だったからか、封筒は封留めされていなかったから、あっさり開くことができた。
文章の内容をざっと読み飛ばし、最後の名前を確認する。
その瞬間、脳の血が一気に足先まで下がってきん、と冷たくなるような気がした。
東 千里
読み仮名が添えてあったが、そんなことはどうでもいい。
あいつだ。
生徒会 会計、誰にでも好かれる才媛。
「な、んで…」
どうしてよりによって彼女なのだ。
なぜよりによって彼を。
ずっと彼女を知ってから秘かに劣等感を抱き続けてきた。
自分とは正反対の彼女。
どれだけ努力してもほどほどの自分と、誰にでも好かれる彼女。
どうせ、彼にもすぐに好かれるのだろう?
そう思った瞬間、真っ黒な手に心が鷲掴みにされた。
先程とは逆に一気に頭が熱くなって、弘子は反射的にクッキーを手に取って床に向けて投げつけていた。
「なんで…なんであんたなのよぉっ!」
泣きたい気持ちが真っ黒な靄にかき乱されて、まるで怒りのようになる。
可愛らしい気遣いに満ちた贈り物、素直な想い、真っ直ぐに思いを伝えられる強さ。
どれもがない。
自分には、どれもが欠けている。
心を強烈な妬みが支配する。
それを吐き捨てたいほど醜いと思うのに、抑えることはできなかった。
「…はぁっ、…うっ…」
粉々になったクッキーを見ても溜飲は下がらない。
弘子は手の中でくしゃくしゃになった便箋に気付いた。
そうしてあることを思い立つ。
クッキーは拾い上げて封筒だけ戻して元のように包んでおいた。
粉々になったクッキーなんかが入っていれば、うまくすれば嫌がらせだと思うかもしれない。
そうして自分は靴を履きかえて足早にとある教室に向かった。
考えるよりも先に、ただただ黒い衝動が彼女を動かしていた。
彼女の席は知っている。
そんなことはないと言い聞かせても、恐らく藤堂以上に意識していたのだ。
自分が羨むものすべてを持っている彼女を。
きれいでかわいいまっすぐなおんなのこ。
知らないのでしょう。
こんなに、
こんなにも黒い気持ちが心の中にあることを。
これだけ醜くなれる女がいることを。
貴女は、知らないのでしょう――――!
弘子は可愛らしい便箋を、執拗に細かく破り裂いて彼女の机に散らばした。
これだけ黒い心があることを、これだけの醜さがあることを思い知らせるように。
「ふっ…あははっ…あはははははっ…」
無残に千切られた紙片が舞い散るのを見て弘子は引きつった笑いを浮かべた。
笑いながら、自分が今どれだけ醜い顔をしているか思って涙が溢れた。
自分はこれだけ、どうしようもなく、汚い。
笑声とが逆に嗚咽はまるで、声にならなかった。
弘子はその日以来前にも増して喋らなくなった。
両親には心配そうにされたが、こんなことを説明するわけにもいかない。
黒也も、何か言いたげな目線を向けてきているのを感じた。
(誰にも、言えるわけないじゃない…)
元より特段友達はいないし、黒也にも好かれているわけではないだろうが、この上軽蔑されるのは嫌だった。
両親であれば尚の事だ。
そもそも自分だって、自分があそこまでどうしようもなかったのだということが信じられなかった。
最早彼を取られそうなことにショックを受けているのか、自分の醜さに落ち込んでいるのかわからない。
自分を嫌いだというのはほかの誰を嫌うよりも辛いのだ、と初めて知った。
他人ならば逃げようがある。
けれど自分からは、どれだけ憎んでも忌んでも逃げることはできない。
どうしたらいいのかわからないまま、日々が過ぎた…。
あの日の後も弘子は今まで通りの時間に登校していた。
自分がどれだけ醜かろうと両親の為にやることは変わらないし、身に染みついた習慣というものはそう簡単に変えられない。
そして藤堂の下駄箱を見てしまうことも。
前よりしっかり見ることはなかったが、視線を向けることはやめられなかった。
だからその日も見てしまった。
同じような桃色の包みが下駄箱に入っているのを。
「…っ、また…!どこまで図々しいの…!」
ほとんど反射的にその包みをひっ掴んだ。
一瞬で心がまた真っ黒に染め上げられるのを感じながら弘子はまた包みを床に叩き付けた。
小気味いい音がしてクッキーが砕ける気配を感じても弘子の心を覆った靄は晴れない。
嫌われても、関係ないというのだろうか。
どんどんどんどん、自分だけが惨めになっていく…。
ふと、人の気配を感じて弘子は顔を上げて振り返った。
そこにいつの間にか立っていた人影を見て、弘子は体が芯まで一気に冷えたような気持ちになった。
血の気が下がってくらくらする。
「と、とうどう、くん」
「…遠慮なく、続けてくれていいぜ?」
凄みのある笑みを浮かべて藤堂が数歩歩み寄ってきた。
視線は弘子の足元でぐちゃぐちゃになっている包みを見ていた。
「どうせ、俺が作ったもんだしな」
「!!」
藤堂の睨みつけるような、蔑むような目が意味するところを悟った。
全て、知っているのだ。
本能的にそう察した。
「ぁ…」
何か言わなければと思うのに声が出ない。
今更何を言えるのかもわからなかった。
ずっと見ていたのだ、だから先を越されそうで怖かったのだ。
そんな説明が何にもならないことを、誰よりも弘子が知っていた。
何も言わない弘子のすぐ近くまで藤堂が歩み寄ってきた。
口の端は上がっているけれど、笑顔という言葉とは程遠い。
「ぁ…わ、わた、し」
何を言おうとしたのかもわからないまま口を開いた瞬間、藤堂の手が弘子の襟首を掴んだ。
そのまま下駄箱に背を叩き付けられた。
「言い訳があるなら、聞いてやるぜ?話聞かせてもらおうか」
「っ…!」
竦んだように口をぱくぱくさせるだけで何も言えない弘子に飽きたのか藤堂の手が乱暴に彼女を突き放した。
「二度とあいつに関わってみろ。今度は警告だけじゃすまさねぇぞ」(なんかよくわかんなくなってきた)
それだけ吐き捨てるように言うと藤堂は校舎の奥へと消えていってしまった。
知られてしまった。
それだけが弘子の頭の中を支配して、脱力感が襲ってきた。
多くは望まなかったのに、こんな風に終わってしまうなんて。
それが自分のせいであることがわかっていたから、どんな感情のやり場もどこにもなかった。
弘子は下駄箱にもたれるようにしてずるずるとその場に崩れ落ちた。
膝を抱え込んで顔を埋める。
他の生徒が登校してくるまでにはもう少し時間がある。
今はもう、動く気がしなかった。
涙が溢れることもなかった。
ただ頭の中も心も乾いたように何もなかった。
「……」
ゆっくりと誰かが近づいてくる気配がした。
顔は伏せたままだったけれど、弘子にはそれが誰だかわかった。
気怠そうな足取りとかすかな足音。
後ろからしょっちゅう蹴られるから、この足音には注意するようになっていたのだ。
「…笑いにでも来たの」
自分でも驚くほどささくれだった声が出た。
足音はすぐ隣で止まり、そのまま隣に腰を下ろす気配がした。
「お前さ、真っ直ぐすぎんだよな」
すぐ横で声が聞こえてようやく弘子は少しだけ顔を上げて横目で黒也を見た。
「好きとか、努力するとか、嫌いとか、全部真っ直ぐにそのまんま思った通りに全力で出すだろ。の割に不器用でいっつも空回りしてんし」
「…うるっさいわね…」
「でもよー」
また顔を伏せた弘子の声を遮るように黒也が少し大きな声を出した。
誰もいない昇降口に声変わりの済んだ低音が鈍く響いた。
「俺、お前のそういう真っ直ぐさ、好きだぞ」
「…………え?」
思わず顔を上げた。
真っ直ぐに黒也を見てしまったから、しっかり目があった。
いつも通りのだるそうな目が真っ直ぐに弘子の目を捉えていた。
何か思いもよらない言葉を聞いた気がする。
聞き返していいものか迷っている内に黒也はするりと立ち上がってズボンをはたいた。
「お前さ、今日夕方時間ある」
「え?」
バカみたいに同じ文字しか発していない弘子を無感情な目で黒也が見下ろしている。
「夕方、ちょっと付き合え」
「ど、どこに?」
「いーから。決まりな。拒否権ねぇから」
ぽんぽんと言い放って黒也も藤堂と同じ方向に消えていった。
弘子は何がどうなったのかよくわからないまま、しばらくきょとんとその方向を見つめ続けていた。
最後の授業が終わると黒也は弘子をほとんど引っ張るようにして学校から連れ出した。
どこに行くんだ、という弘子の問いには答えてもらえないまま電車に乗らされる。
乗った電車からはどんどん人が少なくなっていく。
「ねぇ、どこまで行くのよ…」
「もうちょっとだけ先だ」
「田舎で道聞いてんじゃないのよ?!」
もう車両には二人しか乗っていない。
並んで座った座席に夕日が薄い赤を投げかけてきている。
ずり落ちるほど浅く座って遠くを見つめている黒也を横目で見て、弘子はもう諦めることにした。
ようやく黒也が下りることを促したのは本当に周囲に畑しか広がっていないような駅だった。
降りて少し歩くとロープウェイのある小さな山があった。
「乗る」
「もう勝手にしてよ…」
やる気のなさそうな受付の男性から切符を買い、誰もいない改札を抜けて誰も乗っていないロープウェイに乗り込む。
それはそうだ。観光地でもなんでもないこの山になぜこんなものを設置したのかわからない。
5分ほどかけてロープウェイは頂上まで辿り着いた。
良いのか悪いのか、頂上にも誰もいなかった。
「こっち」
黒也が指さす方向へついていく。
そこは何もない麓の街並みに向けて視界が開けていた。
「わぁ…」
その地平線に向けて大きな夕日が沈んでいこうとしていた。
「すげぇだろ」
「うん…」
とろけるようなオレンジ色が大地に身を沈めていく。
間違いなく、心が動かされる景色だった。
「これ見てるとな、自分の悩みなんてちっぽけなものな気がしてくる。こんなでっかいもんが出たり入ったりしてる景色の中で自分の何がいいとか悪いとか、んなことどうでもいいって」
「妙な言い方しないでよ!」
言い返しながらも、弘子は黒也の言ったことを噛み締めた。
「誰にだって良いとこがありゃ悪いとこも醜いとこもある。どっちかしかねぇ人間はいねぇよ。そんなの気持ちわりぃ。そんで俺たちガキの良さとか悪さなんか、あの夕日に比べりゃ世界にとってどうでもいいちいせぇことだよ」
「うん…」
ようやく、弘子の瞳から涙が溢れた。
悲しいのではなかった。
嬉しいのとも何か違う気がしたけれど、とにかく暖かい気がした。
「…だから、気にすんな。お前の真っ直ぐさは、悪いとこでもあるかもしれねぇけど、俺は好きだ」
「うん……」
半分嗚咽のような声で答える。
目を拭って鼻をすすりあげる。
黒也はただ横に立って、一緒に夕日を眺めていてくれた。
「白岩くん」
随分時間がたって、夕日も半分以上が地平線に姿を隠した頃、ようやく弘子は声を出せた。
「ん」
短く、黒也が答える。
「…ありがと」
「おう」
それだけ言った。
今は、それだけで十分だという気がした。
空は紫紺。
地上は色が咲き乱れ・・・無数の人に満たされている。
やがて、紺色の空にも色とりどりの華が咲き始める。
ただ立っていても汗が流れてくる、夏の夜の花火大会。
その会場の端、土手の上に2人は立っていた。
少女は朝顔の浴衣。
空と同じ紺青の色をして、空に重ねると消えてしまいそうだった。
少年はシャツにジーンズ。
散歩に出るような気軽さが、少女にはおかしかった。
どぉん、と晴れやかな音。
空に大きく、小さく火の花が咲く。
「キレイ」
「まぁな」
「なんであんたが偉そうなの」
「なんとなく」
ぽつりと言葉を交わす。
歓声が響いて、それでも浮き上がったようにお互いの声だけが近かった。
「人、多いね」
「お前もその一部だろ」
「・・・そうだけど。あんたもね」
「まぁな」
また途切れる。
空に小さくたくさんの花火。
その全てが違う色をしていた。
「何か話せよ」
「花火見てるの」
「俺もだよ」
「じゃあいいじゃない」
黙って、空を見上げた。
一つ、大きな華が広がる。
星の輝きも、月さえもかき消して。
「去年も、ここ来たよね」
「一昨年もな」
「同じ花火なのかな」
「んなの覚えてねぇよ」
「私も」
さぁっと降り注ぐような花火。
眩く光が顔を照らした。
「今年で・・・最後だね」
「そうだな」
「もう・・・一緒に見れないね」
「かもな」
「かもじゃなくてさ・・・」
少女は小さく笑った。
ちらり、と少年を見やると少年はただひたすら意固地になったように花火を見上げていた。
「・・・意外」
「何が」
「泣かないんだね」
「悲しくねぇもん」
少女が視線を空に戻すと、今度は少年が少女を見た。
「お前も、泣いてないな」
「悲しくないもの」
ふぅん、と小さく呟いて少年も空を見た。
最後に向けて小さく、大きく花を咲かせる。
遠く空に打ちあがるのに、迫るように大きな花火。
赤に緑に青に、小さく空を彩る花火。
キレイなのに、どれも胸をかすめて消えていった。
「ね、手繋いでよ」
「やだよ」
「なんでよ、いいでしょそれくらい」
「無理だよ、できねぇよ」
少女は無理に手を伸ばす。
それを眉をひそめて少年がよける。
「やめろって・・・」
けれど、迷った手は毅然とした少女の手に追いつかれて2人の手が重なる。
・・・いや、重なりかけて透けてすれ違った。
「ほら・・・無理だって・・・」
俯く少年の手に、形だけでも添えるように少女は手を伸ばした。
一際、大きく華が咲く。
「何、泣いてるのよ」
「悲しいからだよ」
少年は涙に濡れた顔を上げた。
「お前も、泣いてんじゃねぇかよ」
「悲しいもの」
薄れて、向こうの景色が透けて見える顔で少女が笑った。
ぼろぼろ涙を零しながら笑った。
だから少年も笑った。
「じゃあな」
「うん、元気でね」
「おう・・・またな」
「・・・・・・うん、またね」
空に打ちあがる花火と同じ。
ひゅるる、と音がして、少女の体が霧に、靄に消えていく。
最後に大きく上がった花火と同じ。
夜空で満開の笑みを咲かせて、少女は消えた。
地上は色が咲き乱れ・・・無数の人に満たされている。
やがて、紺色の空にも色とりどりの華が咲き始める。
ただ立っていても汗が流れてくる、夏の夜の花火大会。
その会場の端、土手の上に2人は立っていた。
少女は朝顔の浴衣。
空と同じ紺青の色をして、空に重ねると消えてしまいそうだった。
少年はシャツにジーンズ。
散歩に出るような気軽さが、少女にはおかしかった。
どぉん、と晴れやかな音。
空に大きく、小さく火の花が咲く。
「キレイ」
「まぁな」
「なんであんたが偉そうなの」
「なんとなく」
ぽつりと言葉を交わす。
歓声が響いて、それでも浮き上がったようにお互いの声だけが近かった。
「人、多いね」
「お前もその一部だろ」
「・・・そうだけど。あんたもね」
「まぁな」
また途切れる。
空に小さくたくさんの花火。
その全てが違う色をしていた。
「何か話せよ」
「花火見てるの」
「俺もだよ」
「じゃあいいじゃない」
黙って、空を見上げた。
一つ、大きな華が広がる。
星の輝きも、月さえもかき消して。
「去年も、ここ来たよね」
「一昨年もな」
「同じ花火なのかな」
「んなの覚えてねぇよ」
「私も」
さぁっと降り注ぐような花火。
眩く光が顔を照らした。
「今年で・・・最後だね」
「そうだな」
「もう・・・一緒に見れないね」
「かもな」
「かもじゃなくてさ・・・」
少女は小さく笑った。
ちらり、と少年を見やると少年はただひたすら意固地になったように花火を見上げていた。
「・・・意外」
「何が」
「泣かないんだね」
「悲しくねぇもん」
少女が視線を空に戻すと、今度は少年が少女を見た。
「お前も、泣いてないな」
「悲しくないもの」
ふぅん、と小さく呟いて少年も空を見た。
最後に向けて小さく、大きく花を咲かせる。
遠く空に打ちあがるのに、迫るように大きな花火。
赤に緑に青に、小さく空を彩る花火。
キレイなのに、どれも胸をかすめて消えていった。
「ね、手繋いでよ」
「やだよ」
「なんでよ、いいでしょそれくらい」
「無理だよ、できねぇよ」
少女は無理に手を伸ばす。
それを眉をひそめて少年がよける。
「やめろって・・・」
けれど、迷った手は毅然とした少女の手に追いつかれて2人の手が重なる。
・・・いや、重なりかけて透けてすれ違った。
「ほら・・・無理だって・・・」
俯く少年の手に、形だけでも添えるように少女は手を伸ばした。
一際、大きく華が咲く。
「何、泣いてるのよ」
「悲しいからだよ」
少年は涙に濡れた顔を上げた。
「お前も、泣いてんじゃねぇかよ」
「悲しいもの」
薄れて、向こうの景色が透けて見える顔で少女が笑った。
ぼろぼろ涙を零しながら笑った。
だから少年も笑った。
「じゃあな」
「うん、元気でね」
「おう・・・またな」
「・・・・・・うん、またね」
空に打ちあがる花火と同じ。
ひゅるる、と音がして、少女の体が霧に、靄に消えていく。
最後に大きく上がった花火と同じ。
夜空で満開の笑みを咲かせて、少女は消えた。